オーストリアSV

ウィーン、外向きのイメージと実際 (1)
―外向きではない場所から見えるもの―

小野絢子
人間文化課程 1年

はじめに

ウィーンという都市の名前を聞いて、はじめに私はきれいな建物の並ぶ街並みをイメージした。それとは別に音楽の都であるということを思い出す人もいるかもしれないし、ハプスブルク時代の華やかな宮廷文化を思い出す人もいるかもしれない。
だが実際にウィーンを訪れた人はそれほど多くないはず。訪れたことのない場所のはずなのに私たちが都市について何らかのイメージを連想するのは、観光ガイドブックや雑誌、テレビなどを見ることで知らずのうちにイメージを作り上げてしまうからだ。
ウィーンという都市は本当にガイドブックにのっているような都市なのだろうか。今回私は外から見るウィーンと中から見るウィーンはどのように違うのかを深めることをテーマとした。

外向けの場所/外向けではない場所

まず、ウィーンが外向けに見せたい場所についてお話しする。ガイドブックに載るような有名な観光地は先ほどあげたようなイメージに基づくものが多い。「音楽の都」に関しては作曲家の家、劇場などがあり、「ハプスブルク」に関しては王宮、宮殿などがある。実際に訪れてみると、展示の説明文には英語表記が必ずしてあり、オーディオガイドは日本語を含む複数の言語からの選択が可能で、観光客に配慮されていた。

カフェ「デーメル」(1) - オーストリアSV2014 カフェ「デーメル」(2) - オーストリアSV2014

カフェ「デーメル」 ウィーンで有名なカフェの一つ。混雑して
おり順番待ちの列ができる。ドイツ語、英語で書かれている。

次に、外向けでないウィーンの姿についてお話ししよう。私はウィーンを訪れる前の事前学習で、ウィーンにはオーストリアが第二次世界大戦時ナチス・ドイツに加担し、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)に協力した過去があることを知った。さらにウィーンには、ユダヤ人街や博物館、シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)などのユダヤに関連した場所や、高射砲台(空襲から都市を守るためのもの)などのナチスに関連した場所が多数存在しているということが分かった。

モルツィン広場の記念碑 - オーストリアSV2014

モルツィン広場の記念碑 ここには第二次世界大戦中、ナチスのゲシュタポ(秘密
国家警察の略称)があった。記念碑には「二度と忘れない」と刻まれている。

そこで、私の中には次のような疑問が浮かんだ。上のような場所に観光客、現地の人は訪れているのか、場所はわかりやすい場所か、わかりやすい表示はしてあるのか。これについて私は、ガイドブックに書かれていないのだから観光客はもちろん訪れず、現地の人々も訪れないのではないかと予想したのである。

過去を受け入れる意識

では、実際に訪れてみてどうだったか。これらのものが存在する場所自体については、ウィーンの中心部に近く他の有名な観光地を見るついでとしても行きやすいということがわかった。だが、シナゴーグやユダヤ人虐待を記憶する記念像には特に説明書きもなく、知らなければ素通りしてしまうことは間違いない。ただしユダヤ人博物館を訪れた際、社会見学と思われる現地の学生の団体を2組見たことと、観光客も何人かいたことに驚いた。
そこで感じたことは、オーストリア人はナチス・ドイツに加担したことをどう思っているのかということだ。私はユダヤ人博物館をオーストリア人が歴史学習のために訪れるのは日本人が原爆ドームなどを訪れるのとは違うと考える。前者は加害者としてユダヤ人と接していた。対して後者は被害者意識でその場所を訪れる。となると、ウィーンのこのような場所に社会見学で訪れるということは、過去をもみ消さず、受け入れる意識を持っているということになるのだろう。