下調べで得られた情報やビーバ氏の講演で得られた知識を基に、じっさいのフィールドワークでは、まずウィーンに集まった音楽家たちの家を回った。ウィーンで生まれたシューベルト、ヨハン・シュトラウスを始め、ベートーヴェン、モーツァルトらが生前過ごした家は現在ではミュージアムとして整備されている。
シューベルトが貧しい家庭に生まれたという話は有名だが、前者の2人の生家や住居も中心部から離れたところにあり、とても質素なものであった。しかしそんな貧しいシューベルトでも、音楽的才能があれば認められたのがウィーンという街だったのだろう。いっぽうベートーヴェンやモーツァルトの家は中心街(リング通り)の内側にあり、特にモーツァルトハウスはとても豪華なものだった。音楽家として成功するということが、ウィーンにおいてどの程度の成功だったのかが窺える。
住宅街の中にあるシューベルトの生家
次に国立オペラ劇場にオペラを見に行ったが、これは音楽がウィーンにとってどのような存在であるのかを考えさせられる特別な機会となった。
国立オペラ劇場では毎日のようにオペラが上演されているが、100〜200ユーロ(約2〜3万)程度の席が毎日完売する。私が行った時にも、スーツやドレスを着たウィーンの人々や観光客でオペラ劇場はいっぱいだった。これは昔も同じで、皇帝の休憩室に明かりがついている日には皇帝を一目見ようというウィーン市民たちで、オペラ劇場はいっぱいになったそうである。このようにウィーンにおいて音楽というのは、皇帝と同じ空間を共有したり皇帝と同じ音楽を楽しんだりというある種のステータスのようなものであり、またその感覚が現代にも残っているように感じられた。
しかし一方でオペラ座には立見席という制度があり、約1700席の座席のうち567席もが2〜4ユーロの立見席だった。フォルクスオーパー(中心街の外の住宅地にあるもう1つの国立のオペラハウス)にも立見席が100席ほどあるが、これは、日本はもちろん他の国でも珍しいものである。
国立オペラ劇場の内部
先述したようにウィーンのオペラハウスでは、音楽が権威やステータスと結びついているいっぽう、あまり裕福でない人やお金のない学生、また観光客のためにこのような席が用意されていることにとても驚いた。今でこそ、ドレスコードをきっちりと守った人たちの中へ普段着の格好で行くのは場違いのように感じるだけだが、昔であればハプスブルクという巨大な帝国の皇帝と同じ空間に一般市民も入り、皆で同じオペラを見ることができたという、きわめて政治的な寛容性を帯びた意味合いになる。
ウィーンに備わったこの不思議な寛容性というのは、この街ならではのものではないか。その理由として、一時期ヨーロッパ全土を納めた巨大なハプスブルク帝国には様々な民族が混在していて、その首都であるウィーンには自然と寛容な精神が生まれた、と考えられる。またウィーンはヨーロッパの端に位置していて、キリスト教以外の世界と交流できた、という地理的要因も挙げられるだろう。
このような要因を顧みると、ウィーンの寛容性というのはウィーンが存在し続けるために必然的に生まれたということになる。またウィーンにおける音楽というものが、皇帝と同じものを共有できるという非常に権威的な性格を持つと同時に、貴族から市民までをも幅広く寛容に受け入れるという、一見相容れないような二つの面を持ち合わせていたということが、ウィーンが音楽の都たる大きな所以であると考えられる。
音楽の家にて ウィーン・フィルを指揮して遊ぶゲーム
ウィーンにはたくさんの音楽家のミュージアムやガイドツアーがあり、またオペラやコンサートが開かれている。それらは今では観光客向けとしてあるものが多い。じっさいウィーンへ行って、音楽の都というネームバリューが様々な形で観光に利用されていると感じることが多かった。またウィーンの街を歩くと、作曲家たちのミュージアムが連携し、観光客が回りやすくなっていたり、音楽にちなんだ様々なお土産があったり、オペラ座の近くに音楽の流れている有料の「オペラトイレ」があったりと様々な工夫が見られる。
ビーバ氏の講演で、ウィーンの音楽文化が失われつつあるという話もあったように、おそらく「音楽の都」という言葉の意味は変わりつつあるのだろう。しかし同時に観光地として押し出される「音楽の都」が、再びウィーンに住む人々に音楽と触れる場を増やしていく可能性もあるのではないだろうか。「音楽の家」というミュージアムに行ったときに社会科見学をする小学生の集団に出会ったが、観光のために音楽が押し出されることで、ウィーンの子どもたちは幼いころから音楽に触れる機会を持てる。楽友協会でも子供の音楽離れを防ぐために、子供向けのコンサートを頻繁に開催している。
「ウィーン」、「音楽の都」の音楽と聞くと、お堅いクラシックのようなものを想像していて、事前の調査段階でもウィーンが音楽の都と呼ばれるのはそのようなイメージが強いからだと思っていた。しかしウィーンに行って感じたのは、日本や他の国に比べて遥かに、ウィーンに住む人々にとってクラシック音楽が身近なものであるということである。このような市民と音楽の身近さこそがウィーンが音楽の都と呼ばれる理由なのだと、今回のSVを通じて理解できた。