カナダSV

トロントの冬、散歩で見えた文化の色

伊藤隼平
人間文化課程3年

散歩をすれば自分なりにうっすらとその街の色が分かってくる。東京でいえば、原宿も高円寺も上野もなんどか歩けばどんな色かはだいたいわかってくる。トロントは一体どんな街だっただろうか。

-10°Cを下回る気温。横浜に在住している私をはじめ、相当冷え込む地域でない限り、大半の日本人にとってまず経験することのない寒さだ。ニット帽、耳当て、手袋、厚着に増す厚着。ただ歩くだけなのにこんなにも重装備が必要になる。外の冷気はパリッとしていて、防止やマフラーで防寒しきれなかった目元や頬は、まるで刺されているかのような感覚だった。息を吸うとむせそうになるほど冷たい。初日の感覚では、死んでしまうのではないかと身の危険を感じるほどだったが、意外と慣れるもので、2, 3日すると寒さをそこまで意識しなくなった。

街の様子はどうか。中心地では開拓民が入植してまもなく建てられた欧風の古い建物と比較的新しいビルとが入り乱れるように街を構成している。街はいまも建設ラッシュなのか、建設中の高層ビルがいくつも目に入る。

カナダSV2014:

カナダが多文化主義国家というだけあって、また、私自身(あるいは多くの日本人)が普段まわりに似たような顔しかいないという状況の中で生活しているだけあって、本当に数多くの「個性」を目にすることのできるという印象を受けた。通り一つごとにその特色がみられるのが非常に新鮮で興味深い。古着屋や雑貨店が立ち並ぶおしゃれな通りを歩いていくといきなりトロント大学の施設がぞろぞろと現れたり、そうかとおもえばいきなり自分がチャイナタウンを歩いていることに気付いたりする。

エスニックタウンに関連していえば、トロント周辺だけでも10を超えるエスニックタウンがある。ギリシャやイタリア、アイルランドなどのヨーロッパからインドや韓国アジア諸国からの移民たちが起源だ。子供のころから勝手に抱いていたカナダという国のイメージには、ヨーロッパ系の顔が多く登場したが、実際は全く違った。とにかく多岐にわたる見た目の人々が登場し、いきいきと暮らしていた。

人の様子はどうか。滞在がわずかに十日間だったからかもしれないが、不快な思いはしないで済んだ。駅でもカフェでも道端でも、英語が最低限しか使えない私にもわかりやすく優しく接してくれる。あからさまな観光客と思しき人はあまり目につかず、中心部全体で案内表示が親切だとは到底思えなかったが、通行人は尋ねれば(あるいは尋ねる前に)とても親切に案内してくれる。
普段日本で暮らしている自分たちより明らかに文化の多さに対する「慣れ」のようなものがある。高校のころ、運動部の大会で、相手チームに一人だけ外国人がいる違和感に笑ってしまったことを思い出した。
雑な言い方をしてしまえば、大量のマイノリティが街を構成しているともいえるかもしれない。そこにはファーストネーション、つまり先住民族が、セクシュアルマイノリティが、アジア系が、アフリカ系が、他にもたくさんの目に見える違い(あるいは目に見えない違い)を持つ人々がいる。

通りを歩くと、ひたすらたくさんのストリートアートが目に入った。あらゆる壁にグラフィティアートが描かれている。そこに表現されるのはほとんどの場合「そこじゃなければ描けない絵」だった。CNタワーももちろんだが、様々な顔の色の人々やアボリジニの個性的な装飾、チャイナタウンではドラゴンが、ゲイタウンでは抱き締め合う男性の姿があった。作成の意図や経緯までは正確に把握できていないが、街中に広がる個性を絵が代弁しているかのようであった。

カナダSV2014:

このツアーを通じて私たちは多くの衝撃を目のあたりにした。

都市景観や芸術、観光地にエスニックタウン。あるいは、民族やセクシュアリティなどのマイノリティを支援する空間。この場所において、「多文化」というワードは否が応でも付きまとうテーマになっている。

何がここまで多くの種類人々の共存を可能にするのか。異なる文化との生活に衝突はないのか。なかったのか。どのように解決してきたのか、また解決しなければならない問題は何なのか。日本で暮らした20年という経験。一方、カナダにたった10人で訪れたほんの10日間。自分たちが見たものは限りなく表層の部分に近いはずだ。ここでの経験を私たちはどのように活かすことができるのだろうか。それは自分が普段から感じていた問題意識との結びつけに大きくかかわってくると私は思っている。たった10日間でも、私たちが問題を見る視点に、新たに大きな一つが加わったはずだ。