カナダは多文化主義国家として有名だ。1971年に多文化主義が政策として採用されて以来、英語圏の人々の文化やフランス語圏の人々の文化だけではなく、中国やイタリア、ギリシャやポルトガルなど様々な国から来た移民がそれぞれ文化を構成し、また「ファーストネーション」と呼ばれる先住民も暮らしている。カナダ最大の都市であるトロントにあるエスニックタウンではそれぞれの移民がコミュニティをつくっている。たとえばチャイナタウンを歩くと、目に入る看板は中国語で書かれているものが多く、すれ違うのはほとんど中国系の人々で、自分は今中国にいるのではないかという錯覚に陥る。
このように様々なエスニックグループがそれぞれ独自のコミュニティで生活する「多文化主義」であるが、多文化主義は何も民族の問題だけではない。
Church&Wellsley VillageはLGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィア)に寛容な街として有名で、通りにはためくフラッグや電飾は、LGBTQのシンボルであるレインボーカラーが見られる。LGBTQに関するサポートセンターや、資料館、ミュージカルやアートショーを上映する劇場や、HIV・AIDSサービスを提供する団体、など様々な施設が存在する。街全体が、LGBTQの人々が住みやすい環境であるだけでなく、ひとつの文化を成している。
私たちはその中で519 Church Street Community Centreを訪れた。ここはLGBTQの人々の情報交換の場となるだけでなく、LGBTQの方のイベントやビジネスの支援をしたり、私たちのような来訪者にLGBTQの方々について学ぶプログラムを提供してくれるLGBTQのサポートセンターだ。私たちはまずセンターの周りの様々なアートを見た。赤・黄・黒など異なる色の人間が腕を上げて何かを勝ち取ろうとしている壁画。ここにもレインボーが見られ、他にもエイズ予防運動のシンボルであるレッドリボンや、社会システムを表しているであろう歯車などたくさんの意味が込められている。壁画は小さなタイルをいくつも合わせて作られており、そのタイルはセンターを訪れた多くの人が貼り、みんなで一つの壁画を作ったそうだ。タイルに混ざるように小さな鏡がところどころに貼られており、そこに写る自分の姿を見て、自分について考えさせられるようになっている。
センターのトイレも興味深かった。トイレのなかには「ALL-GENDER」という表示のものがあった。たしかに、このセンターに来るLGBTQの人々にとって男子と女子という区別で分けられているトイレは入りづらいだろう。しかしセンターのトイレ全てが「ALL-GENDER」というわけでなく、「MEN/WOMEN」のトイレもあるから、LGBTではない人たちのこともきちんと考えられているのだなと感じた。
その後私たちはセンターの方からLGBTQに関するレクチャーを受けた。まずLGBTQにまつわるキーワードの定義を解説してもらった。Gender identityとは、自分の性に関する認識である。私たちは皆、性別を考えようとするとき、自分を「男性」や「女性」だと認識したり、あるいはその「どちらでもある」、また「どちらでもない」と認識したりする。Gender expressionとは、身なりや言葉遣いなどで、性に関して自分が周りの人にどのように見られるか、どのように自己表現するか、というものだ。男らしい言葉遣いや女らしい服装などあるが、それらはその人の本来の性別に関連していることもあれば、そうでないこともある。
私は自分の性に関して自分が女であると当たり前のように感じていたし、テレビに出てくる「オネエキャラ」の芸能人に関して、確かに男装をしている人もいれば女装をしている人もいるが、このようにその人がどのように自己表現したいのかというような視点からは考えたことはなかった。自分の生物学的に定められる性、自分のことについて心の中で思う性、自分がそう見られたいと思う性など、自分の性だけで様々であり、それらが一括りに「男性/女性」と定められるものではなく、男性でもあるし女性でもあると考える人もいれば、そのどちらでもないと考える人もいる。自分の性に関する認識というものが他者にとっても通じるものであるわけがなく、ひとりひとりの認識を理解し、尊重できる環境作りが大切だ。519 Church Street Community Centreはそういったことができる環境であり、それを広められる施設だと感じた。
「多文化主義」とは何であるのか。私は多文化主義が「差異を認めること・差異を口に出せること」ではないかと考える。自分の信じている規範がスタンダードではなく、ひとりひとり違っていることを認めること、そして自分の信じていることを口に出せること。今回のトロントツアーで出会った人々は、皆自分の人種や性について私たちに話してくれた。自分のアイデンティティを話せることは、自分がきちんとそれを認識していることに加え、相手がそれを受け入れてくれる予測がついている必要がある。使っている言語、信じている宗教、性、人種、文化はひとりひとり違うものであり、どれがマジョリティでどれがマイノリティだというものではない。自分とは異なる文化が存在することを認め、それを自分のもつ文化と同等に評価し、どちらにとっても暮らしやすい社会をつくることが多文化主義と言えるのではないかと私は考える。