カナダでは多文化共生が成功しているようにも見えるが、実際のところ一概にはそう言えない。1980年代まではカナダの先住民に対する同化政策が特に厳しく行われていた。1993年に先住民族に関する国際連合宣言草案が完成・提出され、翌年に承認されてからは、先住民にとって少し状況は上向きになったという。しかし、現在もカナダの先住民に対する差別は続いており、先住民系の血が入っていることで差別的な扱いを受けたり、安心して住める居住地区が限られたりする。
トロント市内にあるチャイナタウンの様子
先住民の人々にはどうして権利がそのまま与えられないのだろうか。ファーストネーションズハウスで伺った話では、先住民に全面的な権利を与えたとして、本来の土地の権利や自然資源の所有権などを主張されてしまった場合の問題の複雑さなどということも考えられるという。
さらに、なぜ先住民の人々に対する差別がやまないのだろうか。ここには偏見が社会で再生産される過程を考えねばならない。例えば、先住民の犯罪率の高さなどが取り上げられることで先住民が非難されるケースが後を絶たない。先住民女性の行方不明事件が多かった時代があるという話を聞いたが、当時は先住民共同体自体に責を求める人も多かったという。実際は、女性が失踪に至る根本には、先住民女性に対する、先住民社会だけでなくカナダ社会全般での暴力や、十分な権利が得られないことによる貧困といった問題があったことも考えられるが、そうした面はしばしば見過ごされる。また、先住民の犯罪率が高いことに関しても、「先住民だから、野蛮だから、犯罪を頻繁に起こすのだ」というイメージがメディアなどを通じて社会全体に浸透してしまうことで、社会制度の問題自体が問われていかない。「危険な先住民と関わらないようにして生きていこう」とする者は、無意識のうちにでも先住民差別を内面化し、再生産してしまうのかもしれない。
ファーストネーションズハウスにおいてお話を聞く様子
植民地主義に関するディスカッションの場で、トロント大学のTA(大学院生で、教授のアシスタントをする方)女性の言葉が印象的であった。彼女は母親が先住民であり、父親は非先住民というバックグラウンドを持っていた。社会的には自分は非先住民として位置づけられるそうだが、否応なしに先住民問題について考えさせられることが多く、身の周りの環境と、社会における自分の位置づけとの乖離が複雑だという。彼女は、母親の状況や先住民問題を傍で見てきたためか、白人は現代にも残る先住民の存在自体を煙たがっているのではないか、という見解を示していた。彼女がためらいながら発した、「あくまで極端ではあるが、白人的には先住民を全員ころさなかったのがいけなかったのだと思っているのではないか、と考えることもある。」という発言が衝撃的だった。極論すればという留保つきながら、彼女の口から出た言葉から、先住民と植民者の関係の現状がいかに厳しいものであるかをうかがい知る思いがした。現代にも残る先住民差別の話をしている際、カナダ社会における先住民問題の語りづらさや理解されがたさに対するいら立ちややるせなさが、言葉の節々からにじみ出ていたのが印象的であった。
多文化共生を謳い、移民にも基本的な権利を与えるカナダでも先住民の貧困や差別が大きな問題となっている。ひるがえって日本では、在日韓国朝鮮人、アイヌ民族、移民、LGBTQの人びとなどカナダよりもさらに多くのマイノリティの人々に権利が与えられていない。この日本の現状は、流動化する社会においてますます顕在化してくるのではないだろうか。私たちは、メディアや行政による表面的な情報に左右されるのではなく、常に物事の背景を見るということを意識して生活する必要がある。