中国SV

東アジアとイスラーム(2) アラビア書道の現在

榎本友美
人間文化課程 3年

アラビア書道の典型例(トルコで撮影)

「アラビア書道」(イスラーム書道、HATとも呼ばれる)とは文字通りアラビア語で書かれた書道である。しかし、日本人がイメージする書道とは概念が異なる。これはイスラームと密接に結びついており、もともとは聖典クルアーンを正しく美しく書き写すという作業から生まれたものである。イスラームでは偶像崇拝が禁止されており、世界観を共有するための芸術として建築や幾何学模様そしてアラビア書道が発達した。アラビア書道は、幾何学的に規定された文字の形を元に書き手が文字の配置をデザインするところに特徴がある。一見厳しそうな決まりの中にありながら、個人の自由な表現を認め地域の文化と融合していくアラビア書道は、イスラームの世界と重なるところがあるように思う。このような背景から、アラビア書道はムスリムによってクルアーンなどの宗教的文言が書かれることが多い。イスラームの広まりによって、アラビア書道は中国、インド、フランス、日本など非アラビア語圏でもモスクを中心に見ることができる。

左:懐聖寺の礼拝堂内にあった中国式アラビア書道/右:先賢清真寺の応接間にあった中国式アラビア書道

では、共に書道の文化を持つ中国と日本ではアラビア書道はどのように親しまれているのだろうか。1300年以上前にイスラームと出会い国内に多くのムスリムをもつ中国では、ダイナミックで中国書道の影響を大きく受けた「中国式アラビア書道」が発達してきた。本場の中東やトルコをはじめ多くの国での書体は、音楽のようによまれるクルアーンを連想させる優美さが特徴である。力強い線で描かれた中国式の書体はイスラーム世界の中でも独自の路線を辿っていることが分かる。また、書道以外でもこのような「中国化」は見られる。今回SVで見学した2つのモスクは、瓦屋根や赤い色を用いた中国の寺院を思わせる外観のものであった。敷地内には、アラビア書道だけでなく中国書道もいくつも見かけられた。モスクの外観は中国的な印象を受けたが、礼拝堂の中を覗くとそこには他の国のモスクと何ら変わりのないイスラーム的な空間が存在した。ひとつ異なるのは、前述のように礼拝堂内を飾るアラビア書道が中国式だったことである。礼拝堂の中はムスリムにとって重要な空間のなめ、ムスリム以外は入ることができなかった。

中国式アラビア書道も二つのモスクの様子も、外見はとても「中国的」で歴史の深さ故か中国の風景にイスラームはかなり溶け込んでいる。一方で、その核心にあるもの―アラビア書道で書かれている内容やモスクの中の礼拝堂―はイスラーム世界そのもので、国境に関わらずムスリムによって共有されているものである。

その一方、日本ではムスリムの数は大変少ない。国内にいるムスリムの数の正確なデータは不明であるが、10万〜40万人のムスリムがいるとの推測がなされている。その多くは外国人、そしてその配偶者の日本人女性である。そして、日本で初めてモスクが出来たのも20世紀初めのことであり、イスラームと日本の出会いは比較的遅いと言える。日本には、中国のように独自のアラビア書道は存在していない。しかしながら、約20年前から中東在住経験のある日本人講師によってカルチャースクールが開かれている。ここで強調したいのが、全国に300人程いる生徒のほとんどは日本人、そしてムスリムではないということである。アラビア書道はムスリムによって受け継がれてきたものであるため、日本のこのような状態は世界的にも珍しい。中国と異なり、日本では書体はトルコ・中東で発達したものを使っている。

日本のアラビア書道作品展の様子

日本では、書道は学校や教室で習う身近なものである。戦後の学校教育では、日本の伝統文化として書道プログラムが組み込まれた。戦後ナショナリズムのひとつともいえるこの教育で身についた書道への姿勢が、興味深いことにアラビア書道を学ぶ姿勢とも重なっている。ムスリムでもない人々がアラビア書道を学習するのは一見不思議な物である。しかし、ここでは多くの人が「書道」という身近な文化を通して「異文化」を学んでいるのである。日本人生徒の作品を見ると、クルアーンの文言やアラブのことわざの中でも日本人の考えに共通するものを好んで書いたり、日本の文化とハイブリットなものを書いたりする人が多い。現時点では、異文化理解の一環として行われているアラビア書道であるが日本人は異文化をうまく取り入れていくことがしばしば歴史の中では見られるので、今後日本のアラビア書道にも少しずつ変化が起きるのかもしれない。