フランスSV

クレマンティーヌ

竹内絵里奈
人間文化課程 2年
フランスSV2014:

私はみかんの生産で有名な愛媛県の出身で、小学生のときにみかん農家を訪れたこともあり、国や種類は違えども柑橘類を生産しているコルシカ島を訪れた時、とても親近感を抱いた。今回は、コルシカ島での柑橘栽培について報告する。

クレマンティーヌの誕生と
生産の現状

クレマンティーヌとは、フランスで最も多く生産される柑橘である。年間生産量は3万トンで、そのほとんどがコルシカ島で生産されている。現在では島の東部の丘陵地帯で1600haの農地に150戸ほどの農家が栽培している。

表皮の色や形状はみかんに似ているが、クレマンティーヌの法が若干大きく、球形である。味はみかんに比べると若干苦みと酸味を帯びているが素朴な味だ。

クレマンティーヌは、東洋種の柑橘を人為的に掛け合わせることでできたヨーロッパ種の柑橘である。1906年に当時フランス領だったアルジェリアで、クレマン神父が中国産マンダリンとダイダイを交配して作ったもので、この神父さんの名前を取って、クレマンティーヌと呼ばれるようになった。コルシカ島では1925年にセミデイ氏により植樹・栽培が開始された。しかしその後、スペイン、イタリア、モロッコなど新たな産地が生まれ、フランスで現在消費されるクレマンティーヌのほとんどはスペインや北アフリカ産であり、国内産と言えば唯一葉っぱをつけたコルシカ産のみである。

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苦難に満ちたコルシカでの柑橘栽培

コルシカ島の柑橘栽培は、繁栄と苦難の繰り返しである。20世紀前半は、もう一つの柑橘であるセドラから作ったリキュールが欧米で大変売れたことで、島内各地でセドラが栽培され、農家や加工業者は潤っていた。しかし、戦争や安い海外産の流入でコルシカの柑橘農業および加工業は壊滅的打撃を受ける。

これに代わる柑橘が長期間模索され、クレマンティーヌもその一つだった。島の東部にはINRAと呼ばれる国立柑橘研究所が戦後設立され、コルシカ島での栽培に適し、かつ農家収入に影響を及ぼさない柑橘あるいはその品種が数百種類も実験されたという。島内では普通のオレンジをはじめとしてグレープフルーツやスウィーティスウィーティなど比較的大型果実の柑橘が試験的に栽培されたものの、これらはすべてEUの統合によって、イタリアやスペインなどの大生産国の安い果実に押され、消えて行った。1990年代に競争に生き残り、他地域産との差別化、高品質化を図るために選ばれたのがクレマンティーヌであった。その中でも、フィヌ・ド・コルス(Fine de Corse)と呼ばれるコルシカ島でのみ栽培される品種が選ばれた。

1997年から欧州市場を意識したブランド化が始まり、70の厳格な基準をクリアして2007年にEUのIGP(地理的表示保護)認定登録を受け、欧州で唯一「葉付き」で出荷される。この理由としては、クレマンティーヌの新鮮さを消費者にアピールするという生産者側の狙いが挙げられる。コルシカはフランス、ドイツ、イギリスといったヨーロッパ大消費地に最も近く、スペイン産やモロッコ産のように長距離輸送に伴う長期間貯蔵する必要性、すなわちその間防腐剤を使用する必要性がない。他の生産地で「葉付き」でクレマンティーヌを出荷すると葉が枯れたり防腐剤で変色してしまう。だから、「葉付き」はコルシカ産である証明そのものなのである。

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クレマンティーヌ農場を訪れて

今回のスタディツアーでは、大学から30キロほど東にあるアンティザンティ村にあるマリアニさんのクレマンティーヌ農場を訪れた。私が抱いた第一印象は、「思ったよりも古い」というものである。この農場を訪れるまで、クレマンティーヌの歴史の長さについて全く実感が湧いてこなかった。しかし、実際にこの「古さ」に触れてみると、クレマンティーヌの歴史の長さや、その歴史の中で人々が苦難を乗り越えるためにしてきた努力などを肌で感じ取ることができた。

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