私たちは今回のスタディツアーでルソン島中西部にあるバターン原発を訪れた。バターンという地は現地語で「バタ=子ども」「アン=場所」の意味を表わし、また日本軍による「バターン死の行進」で有名な場所でもある。この地にひっそりとたたずむバターン原発は、1984年にマルコス独裁政権下で完成した。しかしその後、1986年のエドゥサ革命によってマルコス政権が倒されアキノ政権が誕生すると、新政権はバターン原発をマルコス政権「負の遺産」として稼働を中止する決定を行った。そのような背景からバターン原発は完成してから31年間一度も稼働していないのである。
バターン原発に到着すると、原発内部を見学する前に職員があらかじめ用意していたプレゼンテーションを聞くことになった。自分にとってこのプレゼンテーションはかなり衝撃的なものであった。プレゼンテーションの内容がバターン原発の安全性や利点だけを前面に押し出し、問題点や改善点が全く示されていないものだったからである。また、放射能線の数値や津波の想定されうる高さなどの数値も安易に信用できる数値ではなかった。少なくとも私には、根本的な問題点を原発稼働のメリットで覆い隠そうとしているように見えた。しかし彼らの立場を考えると、この原発で働くものとして自分の役目を全うしているだけなのだろうと感じた。
その後バターン原発内部を案内していただいた。内部は自分の想像をはるかに超える圧巻であった。しかし、素人の私が見ても分かるほどの老朽化を感じる個所も多々あり、コンピュータのアップデートさえ行えば原発は稼働できるというガイドさんの話は、私には信じられなかった。またガイドさんの話では、もし原子力発電に頼るとしても新しく原発を作るだけで、バターン原発は稼働させないとの方針をフィリピン政府は持っているということであった。バターン原発の稼働中止を決定した政権の大統領が現フィリピン大統領の母であることを考えると、当然の流れなのかもしれないが、とてもやるせない気持ちになった。
バターン原発稼働を望む職員たちがいる一方で、稼働を好ましく思わない政府がいる。深刻な電力不足問題によって悩まされている人々がいる一方で、バターン原発の稼働に怯えている人たちがいる。様々な思いの狭間にこのバターン原発は立たされているのだ。しかし、どれほどバターン原発の稼働を待ち望む人々たちがいたとしても、おそらく現時点ではこの原発が動くことはないだろう。それは設備や安全面の問題ではなく、フィリピンの政治的な問題が一番強い要因であろう。将来バターン原発の稼働が決定されたとき、その決断は政治的な力によるものではなく、人々の生活の安全さや豊かさを考えた上での決断であることを願うばかりである。