「フィリピンだと『外国人』のイメージって外資系企業で働いているサラリーマンのような経営職を思い浮かぶのに、日本は労働者層が浮かび上がるってことにビックリしました」
以前、SSで訪れたUP生たちとEPA(Economic Partnership Agreement:経済連携協力)による外国人看護師・介護士受け入れをめぐって行ったワークショップでUP生より出たこの言葉。そういえば、とその一瞬、以前フィリピンのショッピングモールで「現地ブランド」よりも、日本や欧米系ブランドを見かけるが多かったことを思い出した。また、ここ数年間、英語の語学研修先として、定年退職後の移住先として、そしてより安い賃金を求めて中国工場より撤退しつつある企業の主な行き先の一つとしてフィリピンが注目を浴びている現状もが頭の中で漂った。だからこそ、SV期間中の私はフィリピンの中の「外国人」や「外国資本」をひとつの軸にその社会を眺めていただろう。
マニラの空港に着いてフィリピン大学まで移動する1時間弱の間に見えるマニラの景色の中、特に高層ビルが立ち並ぶ「グローバル・シティ」としてのマニラを象徴する景色の中には英語はもちろん、日本語や韓国語で看板を出すお店が多く見られた。以前訪れた時より数えることが難しいほど増えた高層ビルと一緒に立ち並ぶ外国語の看板が、主にカラオケやパブ、カジノのような遊楽・娯楽施設に集中していることも目を引いた。
そして、滞在4日目に訪れた「スービック経済特別区(Subic Bay Freeport Zone)」にいる間は不思議な気分でいっぱいだった。そもそも、スペイン植民地時代から海軍基地として使われ、1898年の米西戦争後から1991年の基地撤退まで米軍基地として使われたスービックが、返却後には経済特別区になり、今は何か国の企業の工場が立地しリゾートが立地する地域になっていることをどう受け止めるべきだろうか。つまりそれは、常にその地域を「使用」するのは外国人であり、ある意味、スペインと米国の「軍隊」から「資本」へと使用する「主体」が移り変わっただけではないだろうか。
その後、バーンに乗ってスービックの一部を見せてもらう途中見えてくる日本語や中国語・韓国語などで書かれたパブの看板。そして同時に「フービック」と呼ばれる地域の先住民が立ち退きによって荷物を背負ってただただ歩き回っている状況が私の目を引いた。「あ、ここが『経済特区』であるためには、こんな『作業』が行われるんだ」と嘆きが止まらない一方、これってスービックのみならず私たちの主な滞在先であったマニラでも考えられる状況ではないだろうかと考えた。
もうSVより帰国して10日くらい過ぎた今のところでも、マニラやスービックで見かけた事々が、そこで考えたことが頭の中に残っているもののきれいにまとめられない。しかし、確かに言えることは、「開発」が進むフィリピンの諸地域の中、スービックで見かけたような立ち退きが「誰に」・「どのように」行われているか、パブやカラオケなどではどのようなことが起こっているかを追いかけたいと思う気持ちが芽生えてきたことであろう。「ショート・ヴィジット」というこのプログラムが一人ひとりのきっかけやスタートラインになることを目的とすると話された小ヶ谷先生の滞在最後の日のコメントを忘れずに進めてみたい。