イギリスSV

ショーの花道はエスカレーターを地下へ潜る
— ロンドンのバスキング事情

大槻宏樹(人間文化課程 3年)
イギリスSV2017:ショーの花道(@ピカデリーサーカス駅)

ショーの花道(@ピカデリーサーカス駅)

青がシンボル・カラーのピカデリー線、そのピカデリー・サーカス駅に降り立つ。Way outの看板が示す方へ。スピーカーのつまみを少しずつ回すように、なにかの音が大きくなってくる。一歩また一歩と足を進める私に、撓む音響はその在り処が近いことを報せてきた。
どこにスモークやめくるめく色を変える照明装置があるわけではない。ここは都市ビルのダクトさながらに動線が張り巡らされたロンドンの地下鉄だ。
短い階段が終わるところで急に音が輪郭を現した。その正体は、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」だった。ギタリストがiPhoneからバックミュージックを流しながらスツールに浅く腰かけて弾いている。足元にはアンプ類やエフェクター、投げ銭入れと自作のCDが小綺麗にまとめられていた。
つい立ち止まって聞き入った。これはいいと思った。曲の舞台は米西海岸だという下らぬ突っ込みは措いておいて、男の演奏は上手い。全編ソロ用にアレンジされた音符たちは縦横無尽に楽曲を駆け回っている。男はなかば酔うようにしてこぼれるフレーズに身を委ねていた。
ボリュームもけっこう出ている。耳障りではないほどに。くの字に折れ曲がるエスカレーターの「/」の方、その半ばで音は消え入る。あるいは聞こえ始めるようになっている。そのことが通りすがりの聴衆をいっそう楽しませているように思えた。ここから先は、ハコですよと。

2曲目はクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」。やはりこれでなくては、という浮ついた心の声はまたも捨て置いて、わたしは旅の高揚に輪をかけてこのショーに出くわしたことに心躍らせていた――結局4曲もその場で聴いた。同じくらい留まっている者はない。広い空間ではないので、大勢立ち止まってしまえば人の流れに支障を来すだろう。それに通り過ぎる人びとは、すでにめいめいの楽しみ方を知っているようだった。歓声をあげて囃す者、先を急いで聞き流す者、親指を突き出しながら小銭を放っていく者。
男に感想を述べたあと、どれくらいの頻度で演っているのかを尋ねた。答えは「実はここは初めてなんだよ!」。後になってネットで調べると、彼はMiguel Montalbanという、英国を中心に欧州で活動するプロのミュージシャンなのだった。
初めてだと、彼は言っていた。欧州では各地で路上パフォーマンスをやってきたという。どういう人たちがここで演奏しているのだろう。ロンドンの駅ナカライブはどのような仕組みになっているのか。演奏の余韻に浸りながら、わたしは日本ではあまり見かけぬスタイルのパフォーマンスについて疑問に思った。

イギリスSV2017:Miguelが演奏しているところ。画面左から人が入ってきて、右へはけるようになっている

Miguelが演奏しているところ。画面左から人が入ってきて、右へはけるようになっている

調べてみると、その日目の当たりにした出来事はbusking(=公共の場で音楽を演奏すること)として知られている行為だということがわかった。地下鉄ではThe London Underground Busking Schemeと銘打って事業展開されている。
参加するにはライセンスが必要だ。資格獲得のためのオーディションも行われる。路線内にはじつに35ものスペースが設けられていて、これらはすべて予約制となっている。
バスキングをする方のメリットには、小金稼ぎのほか音楽関係者の目に留まってレコーディングにこぎつけられることがある。ミゲルの弾いていた場所は、すぐに枠の埋まってしまう一、二を争う人気スポットだった!
良質な音楽を奏でるミュージシャンを観光・文化資源として統括し、観光客ないし通行人に楽しんでもらう。あのライブは、いわばロンドンの「駅ナカビジネス」でもあったのだ。

英国には伝統をメリットに変えてきた歴史があるのだが、こうなってくるとバスキングもその例にもれないのではないかと思えてくる。メリットに変えてきたというのは、たとえばテニスでその名を知られるウィンブルドンが外国の選手に門戸を開放しつづけた結果、自国からは優勝者が出なくなってしまったものの、いまでは世界中からトッププレーヤーが集まることでむしろ潤っている、というようなことだ(これはウィンブルドン現象という経済用語にもなっているらしい)。
イギリスは路上パフォーマンスの誇るべき歴史をもっている。その質を守りつつ、バスカーに開放していくことで、ロンドン全体が活性化するというヴィジョン。そういえば、ミゲルの出身もチリだ。
市は2015年から増加するバスカーに応える形でBusk in Londonというプロジェクトを立ち上げた。ここでは路上演奏にまつわる情報が一手に得られるほか、関係者の連携やマナー周知などを図っている。
一つの街ぜんぶを丸ごとスキームに巻き込み、自らの発展に繋げるということ。そのスケールの大きさや強かさに舌を巻きながら、あらためてさきほどのプレイに思いを馳せた。わたしは彼らにしっかり楽しませてもらい、旅行者としていい思い出を提供されていたのだった。なかば種を明かされた気分になっても、わたしは喜んでまた彼らに小銭を投げ入れるだろう。