ウィーンをはじめとするヨーロッパの歴史の古い都市には、石造りの歴史的な街並みが存在する。その一端を担う教会について、ウィーンに存在したハプスブルク家の権力との関係について探っていきたい。
古代ローマ帝国の時代から、中世ヨーロッパ世界においてカトリックは普遍的な存在であった。国家という世俗の権力の前に大きなローマカトリックが存在し、人々の前に君臨していた。ウィーンは神聖ローマ帝国の中心であったためその傾向が強くカトリックの教会が多数建てられた。神聖ローマ帝国の皇帝は、カトリックの保護者という名目でローマ教皇から任命されて初めて皇帝を名乗ることができた一方で、教皇の保護者であるため、両者の権力関係はねじれており、権力争いが続いた。
しかし教会が腐敗し、宗教改革により教会の権力は衰え、ハプスブルク家が皇帝を世襲するようになると、今までの権力関係は逆転し、各教会は国家権力の下につくようになった。国家の持ち物という証として教会の中にはハプスブルクの紋章が飾られた。また国家の権力が行き届いていたことを示すために、構造に必要のない装飾・金・高い塔などが作られ、同家の財力があらわにされた。
このような建築が多数建てられたのは、概ねバロックの時代である。その後は状況の維持が続き、19世紀に近代化によって市民が権力を持つようになると、教会権力は落ちぶれ、帝政国家が持っていた権力や教会が持っていた権威が失われていった。
写真1 ヴォティーフ教会のステンドグラス
私は実際にウィーンに行ってみて、教会においてどのように権力があらわれているのかを調査した。
まずヴォティーフ教会である。大きなステンドグラスが有名な比較的大きな建物だが、ここで注目したいのがステンドグラスの絵の内容である。ステンドグラスというのはそもそも、字の読むことのできない信仰者が聖書の内容を理解するためのいわゆる布教の役割を担ったものだった。しかしここのステンドグラスを見てみると、イエス・キリストの洗礼のモチーフが描かれたステンドグラスとは対の場所に、聖書の内容とは異なる貴族と思わしき人々が並んでいた。また壁面には紋章がたくさん描かれていた。
実はこの教会は、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が暗殺を免れたことを神に感謝して建てられたという歴史を持った教会だった。「神に感謝する」というわりには神と同等に皇帝を並べている姿に、皇帝の権力の強さを感じた。
次にミノリーテン教会である。ここには有名な絵画『最後の晩餐』のモザイク画が展示されている。このモザイク画はナポレオン1世が1809年に依頼したものだが、完成時点でナポレオンが失脚したため、オーストリア皇帝フランツ1世が買い取った。そして置き場所に困った皇帝が、このミノリーテン教会に絵画を設置したのである。
皇帝が買い取ったものを、宮殿など皇帝の所有物ではなく、教会に置くことができる権力の強さを感じた。同時に、教会がナポレオン・皇帝という世俗権力に振り回されていた時代なのだろうか、という仮説を抱くに至った。また教会は皇帝の言うままになって設置したのだが、案外教会にとっては皇帝様に目をかけられている、お墨付きを得ている、という証になっていたのかもしれないとも考えられる。
写真2 ミノリーテン教会の『最後の晩餐』
日本と比較してみると、日本とウィーンの宗教に対する違い、人々の接し方が異なることが分かる。
例えば、日本の神社は拝観料を取られることも多いが、ウィーンの教会は観光地化された一部を除きほとんどが無料で祈ることができる。権力の表し方も異なり、ウィーンでは、長い間そこに建てられているという永遠性・記念性を大事にしているが、日本は木造が基本であることから初めから長い間保存できる建築ではなく、建て替え・修理を前提とした建築であり、同じレベルのものを作り続けられる継続性によって権力を表してきた。神社の式年遷宮はそれにあたる。
今後はウィーンで実際に見聞したことと日本を比べて、日本とウィーンにおける宗教への考え方の違いを調べていきたい。