フランスSV

パリの観光・芸術・食文化についての考察

梅田 眞生子
教育人間科学部人間文化課程 3年

守屋 梨花
教育人間科学部人間文化課程 4年

小林 公平
大学院都市イノベーション学府修士 1年

田村 美侑
都市科学部都市社会共生学科 2年

パリの世界遺産「パリのセーヌ河岸」における
エッフェル塔、凱旋門、ルーヴル美術館の効果

世界遺産という観点で見ると、パリは、セーヌ河を中心として複数の施設などが「パリのセーヌ河岸」という名称で文化遺産に登録されている。この文化遺産において目玉となっているのがエッフェル塔、凱旋門、ルーヴル美術館の3つである。ここでは、実際に施設を訪れた所感や写真などを混じえて、「パリのセーヌ河」におけるエッフェル塔、凱旋門、ルーヴル美術館の効果について述べる。

世界遺産「セーヌ河岸」は1991年に登録されており、セーヌ河を中心としてパリの中心地域が登録されている。登録区域はパリ市内のセーヌ河両岸で、その東端は河中島でありパリ発祥の地であるシテ島・サンルイ島のすぐ東にあるスュリー橋、その西端はエッフェル塔とトロカデロ広場を直線で結ぶイエナ橋である。この一つの世界遺産には凱旋門も含まれるが、ここで言う凱旋門とは、ナポレオンが建造したことで世界的にも有名なエトワール広場の凱旋門ではなく、ルーヴル宮の中央部分にあるカルーゼル広場の凱旋門のことである。エトワール広場の凱旋門はセーヌ河沿いにはないため、世界遺産には含まれない。

エッフェル塔は、パリ7区にあるシャン・ド・マルス公園の北西に位置している。1889年のパリ万国博覧会のために建造されたことはあまりにも有名である。「エッフェル」という名称は、設計者ギュスターヴ・エッフェルからである。鉄骨のみを組み立てて建築されており、建築当時の最先端の技術を示していると同時に、近代建築の美的表現の先駆けをもなしている。現在は観光スポットとして象徴的な存在となっており、有料でエッフェル塔に登ることができる。また、夜には美しくライトアップされる。

筆者がパリを訪問した中で、一番観光客が多いと感じたのがこのエッフェル塔であった。エッフェル塔の近くはもちろん、シャン・ド・マルス公園もエッフェル塔の観光に来た人でごった返していたほどである。また、エッフェル塔に登るためのチケットも、2週間前の時点で完売していたことからもその人気の高さが伺える。

ルーヴル美術館は、パリ中心部1区のセーヌ河右岸に位置しているルーヴル宮殿内にある国立美術館。世界最大級の美術館であるとともに、世界最大級の施設の1つでもあり、収蔵品は38万点以上にものぼる。元は12世紀末に建てられた城砦をフランソワ1世が拡張して王宮にした建物であり、美術館として解放されたのは1793年になる。レオナルド・ダ・ヴィンチによる『モナ・リザ』のほか、ミロのヴィーナス、サモトラケのニケなど世界的に有名な作品も数多く展示されている。筆者が訪れた時には美術館入場の際に、当日券を買い求める人の列ができていた。人気作品の前にはどれもたくさんの人だかりができており、『モナ・リザ』などはその作品をカメラに収めることすら大変であった。敷地面積が広大であるということと非常に展示作品が多いということもあり、人口密度としてはエッフェル塔よりも少なく感じた。しかし、人の総数としては同じくらいだったように思われる。

世界遺産「パリのセーヌ河岸」におけるエッフェル塔、凱旋門、ルーヴル美術館の効果についてまとめるならば、この世界遺産は、先に述べたように様々な建造物や公園などが複合された世界文化遺産である。筆者は今回の訪問で世界遺産内の主な登録対象をすべて訪問することはできなかったが、サン・ト・シャペルやノートルダム大聖堂など、観光客が多く訪れるであろう場所をいくつか訪れた。それらの場所すべてで多くの観光客を見ることができたが、やはりエッフェル塔、凱旋門、ルーヴル美術館と比べるとかなり少ないと言えてしまうほど、その3つの観光客は多かったように感じた。

パリについてよく知らない人でもエッフェル塔、凱旋門、ルーヴル美術館という名は聞いたことがある、という人も多い。「パリのセーヌ河岸」という世界遺産において、エッフェル塔、凱旋門、ルーヴル美術館はそれぞれ象徴的な役割を果たしていると言え、観光客を集める重要な効果を持っているとも言える。また、これは個人的な考察になるが、それぞれの位置が適度に離れていることにより、観光客が自然と世界遺産「セーヌ河岸」を満遍なく周り、パリの魅力を感じることができる効果もあるのではないかと考える。

EFFETS TOURISTIQUES DE LA TOUR EIFFEL, DE L’ARC DE TRIOMPHE ET DU LOUVRE SUR « LES RIVES DE LA SEINE DE PARIS » PATRIMOINE MONDIAL DE L’UNESCO

UMEDA, Maoko
3e SCIENCES HUMAINES

Les berges de la Seine à Paris sont classées au patrimoine culturel mondial. Elles sont composées de divers bâtiments et parcs historiques. Je n’ai pas pu visiter tous les enregistrements de clés pour les sites du patrimoine mondial dans une visite de quelques jours. Beaucoup de touristes visitent la Sainte- Chapelle, la Cathédrale Notre-Dame, et les autres églises historiques. Donc on peut dire que le nombre de visiteurs pour ces sites est beaucoup moines élevé que celui de la Tour Eiffel, de l’Arc de Triomphe, ou du Musée du Louvre. On peut voir un grand nombre de touristes dans tous ces endroits, mais j’estime qu’on peut catégoriser les touristes en trois. Les visiteurs de la tour Eiffel, de l’Arc de Triomphe et du Musée du Louvre sont principalement en entre amis ou en famille. On peut dire que la Tour Eiffel, l’Arc de Triomphe et le Louvre jouent des rôles emblématiques pour attirer les touristes. Les sites touristiques sont eux-même visiblement séparés, mais à mon avis leurs dispositions attirent les touristes les faisant marcher tout au long des rives de la « Seine ».


パリにおける日本人のゴールデンルートについて

ゴールデンルートとは、観光用語において「有名で人気のある観光スポットを効率よく回る旅行の行程」のことである。パリは日本人に人気な海外旅行先であり、パリの街中で日本のツアー団体客を見かけることも少なくない。それは多くの旅行会社がパリの観光ルートを計画する際、王道な観光地を巡ることになるので似たり寄ったりな旅程になるためである。また、いわゆるパリのランドマークを巡ることにより、数日の滞在でも「パリに来た」ということが実感できる。

では、どのような観光地がゴールデンルートに挙がるのか。主に旅行ガイドブックや旅行代理店が出版するツアーカタログに上がっているモデルコースの観光地を挙げる。

まずはパリのランドマークとも言えるエッフェル塔と凱旋門。日本で出版されている多くのフランス旅行ガイドの表紙にもなっており、フランスをモチーフとした商品にも頻繁にデザインとして使われている。

さらに凱旋門から伸びるシャンゼリゼ通り。日本のテレビでフランスの特集が組まれる際、ジョー・ダッサンの「オー・シャンゼリゼ」がBGMとして流れているのをよく耳にする。日本でも有名なブランドの本店が出店しており、ここでの買い物を旅行の楽しみとしている観光客も多い。

シャンゼリゼ通りを軸として凱旋門と対局にあるのがルーヴル美術館。世界最大級の美術館であり、高校での世界史学習が必修となっている日本人にとっては教科書でおなじみの作品を見ることができる。

日本人のパリ観光では、オルセー美術館も挙げられる。長年に渡る日本人の印象派好きは現在も健在であり、印象派の作品が多く展示されているオルセー美術館は常に日本人に人気の観光地である。

フランスSV2018:オルセー美術館の内部。旧オルセー駅舎をそのまま美術館に転用したことでも有名

オルセー美術館の内部。旧オルセー駅舎をそのまま美術館に転用したことでも有名

オペラ・ガルニエが建つオペラ地区は、オペラ座そのものはもちろん、老舗デパートのギャラリー・ラファイエットやJTB系列現地観光ツアー会社のマイバス社があり、日本人観光客にとって便利でよく利用される地域である。日本料理店や日本に関する店(ジュンク堂など)も多く並び、現地ではQuartier japonais(日本街)と呼ばれている。

シテ島にあるノートルダム寺院、モンマルトルにあるサクレ・クール寺院は双方共にランドマークでありながら、日本でも大ヒットしたフランス映画「アメリ(原題:Le Fabuleux Destin d'Amélie Poulain)の撮影地としても有名で、根強い人気がある。

以上が日本人のパリ観光で訪れる主たる観光地と日本人に支持される理由である。これらの位置関係としてはサクレ・クールを除きほとんどの観光地がパリの中央(1区、5区〜9区、15区など)に集中する。そのため、少ない日数でも効率よく多くの観光地を巡ることができ、長期の休暇が取得しづらく短期間の旅行ツアーが多い日本人にとっても満足できる旅程になる。また、世界的に有名なランドマーク以外でも、日本と全く違うヨーロッパの街並みや、絵画美術など日本での教育によって得た事前知識があることでフランスへ旅行に来ているという実感がなおさら得やすいのではないか。ゴールデンルートは、日本が受けたフランス文化の影響と実際のパリの街が落ち合う場所であり、日本人にとってそこは感動的、芸術的、文化的で歴史的な場所であるように感じるのだ。今後も、パリは日本人に人気な観光地であり続けるだろう。

« LA GOLDEN ROUTE »PARISIENNE POUR LES TOURISTES JAPONAIS

MORIYA, Rika
4e SCIENCES HUMAINES

La « Golden route », route d’or, c’est en lexique touristique, le chemin qui relie tous les monuments et les lieux très célèbres. Paris est une destination très prisée, donc on voit souvent des groupes de voyageurs japonais à Paris. Comme les agences de voyage japonaises programment les visites des voyageurs plus ou moins de la même façon, tout le monde passe par les mêmes sites, et se sent réellement “être à Paris”même si c’est pour 2 ou 3 jours seulement. Quels sont les sites de la « Golden route » ? Je vais vous parler des sites recommandés par les guides et les catalogues des agences de voyage. En premier, la Tour Effel et l’arc de Triomphe, sont de très loin les plus connus et sont représentés sur la couverture des guides japonais de France. Ils servent aussi de motif de décoration sur les sacs, les vêtements, etc. Puis, les Champs-Élysées, sont très célèbres au Japon parce que la chanson « Aux Champs-Élysées » chantée par Joe Dassin est utilisée en musique de fond pour diffuser les informations sur la France à la télévision. Depuis, les nombreux magasins de luxe qui s’y trouvent sont des hauts lieux d’achats pour les Japonais, qui adorent y faire leurs courses. Le musée du Louvre, c’est le plus grand musée d’art et d’antiquités au monde. Les lycéens japonais en entendent déjà parler dans leurs cours d’histoire mondiale. Les visiteurs sont heureux d’admirer en vrai les oeuvres représentées dans leurs livres. Le musée d’Orsay, aussi, est très important pour les Japonais car ils s’intéressent depuis longtemps à l’impressionnisme, et ce musée contient de très nombreuses toiles impressionnistes. Le quartier de l’Opéra est très agréable pour les touristes japonais, car il regroupe beaucoup de magasins et de restaurants japonais. D’ailleurs, à Paris on l’appelle le « Quartier japonais ». C’est là aussi que se situent l’Opéra Garnier et les Galeries Lafayette, le grand magasin le plus ancien de Paris. En plus, le « Mybus » située dans ce quartier est une agence de voyage japonaise, et elle est très fréquentée par les Japonais. La Cathédrale de Notre Dame de Paris et La Basilique du Sacré-Cœur sont admirées dans le monde entier bien sûr, mais au Japon particulièrement, elle sont célèbres grâce au film « Le Fabuleux Destin d’Amélie Poulain » que les Japonais aiment le plus parmi les films français. Voici donc les lieux que les japonais visitent surtout et les raisons pour lesquelles ils veulent les visiter. Exceptée la Basilique du Sacré-Cœur, presque tous ces sites sont au centre à Paris (surtout dans les 1er, 5ème-9ème, et 15ème arrondissements). Ainsi, on peut visiter Paris facilement en quelques jours. Comme les touristes Japonais ne peuvent pas prendre de longues vacances, ils en sont très contents. Les paysages si différents du Japon, les multiples choses que les Japonais ont appris à l’école, connaissances et ces sites mondialement connus de Paris, dont ils avaient rêvé depuis si longtemps, tout cela, c’est la route d’Or. La « Golden route » est un rendez-vous entre l’influence de la culture française au Japon et la composition de la ville de Paris. C’est un lieu de rencontre émotionnel, artistique, culturel et historique. Je pense que Paris est une des villes les plus aimées des Japonais, et qu’elle le sera toujours.


ロダンの《カレーの市民》と彫刻の台座について

フランスSV2018:ロダン《カレーの市民》(1984〜89年、ロダン美術館(パリ))

ロダン《カレーの市民》(1984〜89年、ロダン美術館(パリ))

パリ7区のロダン美術館は1919年に開館し、その名の通り、西洋近代美術史を代表する彫刻家・オーギュスト・ロダン(1840〜1917)の作品を多く所蔵している。ロダン美術館に訪れた主な目的は、このロダンによる群像《カレーの市民》(1884〜89)を鑑賞することだった。この作品は、近代以降の彫刻における台座の議論の嚆矢としてしばしば言及されるからだ。近代以降の芸術表現において、その問題の一端を占めている彫刻の台座をめぐる問題はどのように引き継がれてきたのか。また、台座が担ってきた「見せること」は、今日どのように捉えることができるだろうか。

一般に台座は上に載せる彫刻に対して、主に二つの役割——1. 物理的機能:周囲から孤立させることによって適切な位置(高さ)での鑑賞を可能にし、かつ鑑賞者との距離をとって像を保護する機能と、2. 象徴的機能:高く掲げることによって像に権威を与える機能̶̶ を担う1)。この役割ゆえに、台座の敷設は彫刻を展示する際にほとんど自明のものとして受け入れられてきた。とはいえ、近代以降のホワイト・キューブのミュージアムにおいては部屋自体がいわば台座であり「象徴的機能」を担いうるために、その必然性は近代以後の彫刻には必ずしも当てはまらない。美術評論家のロザリンド・クラウスは、モニュメント彫刻が、置かれる場所に意味を与える「印付けるもの(マーカー)」であるとした上で、それに付随する台座について「現実の場所と再現=表象記号との仲介者として重要な役割」を指摘した2)。クラウスによれば、モダニズムの彫刻は、その仲介者である台座を欠いているために「無場所性の空間」に入る。つまり台座によって帯びるはずの象徴性を失っていたのだった。

ロダン美術館の屋外に設置されている、件の《カレーの市民》の展示方法をめぐるエピソードは、台座の必然性が揺らぐきっかけとなった事例として引き合いに出される。この群像はカレーの市庁舎前に設置された当初(1989年)、依頼者である市の要望により2mほどの高さの台座の上に設置された。だが、ロダンはそのことを後年振り返った際に「あの彫像に台座をまるで附けたくなかった」と語っている3)。ロダンのこの要望が叶うのは彼の死後のことで、現在ロダン美術館に展示されているエディション4)についても、台座を排して地山(像を物理的に安定させるために主題とじやま連続して造形される部分)から鑑賞者と同一の地平に置かれている。しかし、ロダンは当初から台座を完全に排して構想、制作していたのではない。同じくロダン美術館に展示されている《カレーの市民》の第一マケット(1884)を見てみれば装飾的な台座が付属しており、少なくともこの段階では台座も意匠の一部として組み込まれていたことが伺えるのだ。さらに、彼はこの群像を屋外に展示する際に、高い台座を用いるか、あるいは台座を完全に排するかという二通りの設置方法を検討している。この検討において、前者では高さ5メートルほどの足場を組んで高い位置での提示を試み、後者では地山が地面にそのまま接する提示を試みていた。その結果、ロダンは「カレー市庁の前に置かれて敵の陣営に行くためにそこから出て行くと見える」5)ように、台座を用いない後者の方法を選択した。この事例は、彫刻にどのような台座を敷設するかという問題にとどまらず、台座の存在そのものが作品にどのような印象を与えるのか、台座は必要なのか否かという、より根本的な問題を今日に提起する。

《カレーの市民》のエディションは、東京・上野の国立西洋美術館前庭にも展示されているため、作品じたいは日本でも鑑賞することはできる。だが、東京版は2mほどの高さの台座に載った状態での展示であり(つまり、最初に設置された方法が踏襲されており)、パリのロダン美術館と展示方法は異なる。したがって、筆者にとってこの美術館に訪れ、この作品を実見することの意味は、まさに台座の存在による両者の見え方の違いを考察することにあった。ロダン美術館版の《カレーの市民》を目の前にして、まさにロダンが狙った「そこから出ていくと見える」ような印象が確認できた。そしてそれと同時に、こちらの台座なしのバージョンを観るとき、この群像の塊によって形成される構図がより強く感じられた。像それぞれがほぼ同じ身長で作られていることで、群像全体に直方体のまとまりが強く現れる。像の直方体の塊を(台座という)直方体の上に継ぎ足すより、それ単体で地面に設置させたほうが整合性があるようにも感じられた。思い出されるのはこの作品におけるマケットのなかで、群像を直方体ではなくピラミッド型にまとめたものがあることだ。このピラミッド型の場合、確かに台座が付随していた方が天に向かって屹立する(「象徴的機2 / 3能」をもつ)ような印象を与えただろう。だが、実際に実現した直方体に台座は地面への直置きが適している。像それ自体が既に台座のような形態を担っているからだ。《カレーの市民》で描かれているのは、14〜15世紀の百年戦争で犠牲になった英雄たちの苦悩であった。台座が「その上に物体を担う」という役割(物理的機能)を持っていることを確認すれば、その機能と彼ら英雄の苦悩を重ね合わせたのではないだろうか6)

最後に、現在の美術展で当然のように用いられる無装飾のニュートラルな台座がロダン彫刻の複製の制作に端を発するものだという、美術史研究者の高橋幸次による仮説は興味深い7)ロダンは生前、1900年以降に展覧会開催の需要が急激に増えたことを受けて、ブロンズや原型ではなく石膏による複製を展示することによって、それをまかなっていた。石膏はブロンズよりも遥かに軽くて扱いやすく、その像の下に敷く台座も簡便なもので済ませられるため、それらの展覧会では重厚な台座が用いられなくなった。高橋はこのことが「現在の展示用の台座の起源」であるという仮説を立て、さらに「石膏像という作品形態と『簡素な』台座の連関」を強調する。高橋の仮説によるなら、《カレーの市民》の事例も含めて、ロダンの彫刻は近代以後の美術の台座をめぐる問題の契機であると考えられるだろう。今回のパリ滞在でロダンの作品を実見し、彫刻とその支持体をめぐる議論の発端を改めて確認した。

Burghers of Calais

KOBAYASHI, Kohei
1st Institute of Urban Innovation

In 1888, F. Auguste Rodin (1840~1917) , who is known as the most famous sculptor in modern era, produced a group of 6 statues named “Burghers of Calais”. This sculpture was created as a monument for office of Calais, Northern city in France. Usually, sculptures need underlying pedestals, because pedestals give symbolic importance for monuments. But in the original plan for this “Burghers of Calais”, Rodin didn’t want to lay the pedestal. As eliminating the pedestal, he aimed at sharing monuments’ ground with spectators. But the client (the city office of Calais) requested him to install the pedestal, and finally, this request was adopted. There was a lot of arguments concerning the pedestal. After the sculptors’ death, his plan was accepted. And now, this monument is exhibited with low pedestal in front of the branch office of Calais. The story about this work offers interesting problems about pedestals underlying sculptures. As part of the Short Visit in last October, I visited Rodin Museum (Paris) for the first time, and looked “Burghers of Calais” (reproduction) without pedestal. Looking the masterpiece that gave rise to intense argument, I recognized the part of problem in the history of modern sculpture.


ローカライズされた日本食

私がパリを訪れた際に興味を持ったのが"ローカライズされた日本食"である。なぜなら私が実際にパリで目にした日本食は普段食べているものとはまた違ったものだったからだ。

世界有数の美食の国フランスの首都であり且つ最大都市でもあるパリには、世界中の様々な国の食文化が集まっていることは明らかであろう。

パリ滞在中、日本の味が恋しくなり訪ねたのがここ"きんたろう"だ。パリ現地でも有名な日本食のお店で、実際訪れた時も現地の人のみならず観光客で溢れかえっていた。この光景を見て感じたのはこの日本食のお店は観光客にとって”パリ”の観光地としてうけいれられている、いわば完全ローカル化されているということだ。次にメニューを見て驚いたのがフランス語表記より先に日本語表記が先に来ていたところだ。さらにその日本語が一切間違っていないというところにも驚かされた。

海外の飲食店における日本語表記によくありがちなのがまちがった表記であり、そのことによって本来の意味を失ってしまったり、意味が分かったとしてもその商品の魅力が半減したりしてしまう。ほかにも日本では見受けられないもの(ex.親子うどん/そば)が多く,ローカライズされることで生まれた、現地の人の感覚に合わせたオリジナルメニューが多かった。また店員についてもホールはほぼヨーロッパ系だったにもかかわらず、キッチンは半数以上がアジア系であった。

ラーメンを食べるときはしっかり箸とれんげが渡された。日本食の良いとこだけをうまく抽出して現地の人が受け入れやすいように変化させている点にとても感動した。

なぜパリで日本食が受け入れられているのであろうか。それはフランス自体の文化はもちろん日本食そのものに要因があると思う。フランス人は食事の時間自体を楽しむ国民だ。日本食の見た目からも楽しめる点、健康的だという共通イメージからフランスでも人気を博している。

ADAPTATION FRANCAISE DE LA CUISINE JAPONAISE A PARIS

TAMURA, Miyu
2e SCIENCES URBAINES

Je m'intéresse beaucoup à l’adaptation des nourritures japonaises aux pays étrangers. On dit souvent que la cuisine japonaise est très repandue dans la vie quotidienne dans les pays étrangers à l’ère de mondialisation. J’ai voulu confirmer cela par la visite en France et Paris, sa capitale. On dit également que la France est un pays gastronomique, d’autre part, sa ville capitale a accueilli beaucoup de cultures culinaires étrangères. En fais j’ai vu beaucoup de restaurants étrangers, japonais y compris même en plein centre de Paris.

Pendant mon séjour parisien, je manquais toujours des nourritures japonaises, et ai visité souvent le restaurant nommé « Kintaro » . Ce restaurant japonais est toujours complet avec les touristes, peu importe le jour. Mais il y avait également beaucoup de citadins parisiens à l’intérieur. Ce restaurant japonais est très célèbre à Paris. Je pense que sa célébrité est dûe aux touristes et que ce restaurant a complètement localisé la culture culinaire japonaise. Par exemple, la carte est noté principalement en japonais. De plus j’ai été étonnée parce que son écriture a peu d’erreur.

Les erreurs de noms et d’explications du plats japonais dans des restaurants aux pays étrangers sont un des faits qui déforment l’authenticité de la culture culinaire. Et des plats « originaires» qu’on ne voit jamais au Japon, par exemple, « Oyako Udon » (combinaison avec la nouille blé Udon et la garniture des oeufs et du poulet) et l’existence des cuisiniers non japonais également déforment son authenticité.

Cependant, je crois qu’il faut une gentillesse pour se faire accueillir un restaurant authentiquement japonais aux pays étrangers. Dans le restaurant « Kintaro », j’ai vu des baguettes et une « chirirenge », cuillère courte en porcelaine à soupe chinoise, s’offrir pour goûter « Ramen », nouille blé et frite. J'ai été impressionné qu’on arrange le couvert un peu en prenant l’authenticité des nourritures japonaises, et pour faciliter la dégustation par les étranger.

Pourquoi est-ce que la nourriture japonaise a été acceptée à Paris? Je pense qu’il n’y a pas seulement un facteur culturel des Parisiens ou Français eux-mêmes mais aussi la cuisine japonaise elle-même. On dit que les français aiment le temps pour prendre le repas mieux que les autre peuples. Et la beauté de la « décoration » et la santé nutritionnelle de la cuisine japonaise pourraient correspondre au goût ou à l’esthètique des Français.

  • 1) 遠山、47頁
  • 2) クラウス、217頁
  • 3) ロダン、287頁
  • 4) ロダンの作品の多くは、この彫刻家の許可のもとで死後、複数鋳造されている。
  • 5) ロダン、287頁
  • 6) 人柱が柱(支持体)として意匠に取り込まれている例として、紀元前5世紀に建てられたギリシャ・アテネのエレクテイオンにみられるカリアティードがある。
  • 7) 高橋、94頁
参考文献
  • オーギュスト・ロダン『ロダンの言葉抄』高村光太郎訳、1960年、岩波書店
  • 遠山公一「台座考」『西洋美術研究』9号、2003年、三元社
  • 高橋幸次「台座——彫刻の自立化と作品化の契機(19世紀彫刻をめぐって)——」『日仏美術学会会報』19号所収、1999年、93〜95頁
  • 『ロダン カレーの市民』1989年、静岡県立美術館編
  • ロザリンド・クラウス『オリジナリティと反復』小西信之訳、1994年、リブロポート