フランスSV

コルシカ島について

塩見 珠希
都市科学部都市社会共生学科 2年

舩林 広海
教育人間科学部人間文化課程 3年

森田 晟裕
都市科学部都市社会共生学科 2年

アジャクシオとバスティア — 2つの港町

コルシカ島の2つの港町、アジャクシオとバスティアについて比較してみる。

アジャクシオはパリ・オルリー空港から飛行機で約2時間。私たちが最初に降り立ったコルシカ島の港町である。この都市は島の南部、西岸に位置する。人口が約6万人で、コルシカ島最大の都市である。アジャクシオは、ナポレオン1世として、フランス第一帝政の皇帝にも即位したボナパルト・ナポレオンが1769年8月に出生したことでも知られている。空港の名称もアジャクシオ・ナポレオン・ボナパルト空港である。

アジャクシオの市庁舎の前にあるやしの木に囲まれたフォッシュ広場には、第一帝政時代(1804-1814)のナポレオンと4匹のライオン像が設置されていた。市庁舎は2階部分がナポレオン記念館として一般公開されており、出生証明書やデスマスクの複製などの展示もあるらしいが、通常は結婚式場として使用されており、行った日は婚礼が予約されていたのであいにく見ることができなかった。

街路にもナポレオンやボナパルト家と関連のある名称がつけられているほか、高校にもフェッシュやレティシアなどナポレオン絡みの名前が付けられているほど、この町はナポレオン色が強い。中心部の広場「ディアマン」に面したナポレオン回廊とグランヴァル回廊との交差点には、ジャン=ルイ・ダヴィッドの絵画、「ナポレオンの戴冠」でも有名な巨大な王冠の電飾が飾られている。アジャクシオは別名「帝都」ville impérialeと呼ばれるほど、ナポレオン色が濃い都市である。

バスティアはコルシカ島の北東部に位置し、コルシカ島の形態の特徴とも言える北東部に長く突き出たカップ・コルス半島の付け根に位置する港町である。アジャクシオに次ぐ、大きな港町で人口は約4万人。私たちはコルシカ島を出る際、この都市にあるバスティア・ポレッタ空港を利用した。ここは、「星の王子さま」や「夜間飛行」の著者として有名なサン=テグジュペリが、行方不明になる前、1944年7月31日に飛び立った地として記録が残っている。また、イタリアからの船の発着港としてもにぎわいをみせ、多くの観光客が訪れる。そのためサービス業や、観光業が盛んで経済的中心地になっていた。

フランスSV2018:バスティア旧港

バスティア旧港

これら2つの都市は共にコルシカ島にある港町ではあるが、違いが見られる。まず、気候についてだが、両方とも短期滞在であり、かつ地中海性気候に属するため、あまり差異は感じなかった。しかし、吹く風は異なっていたように感じる。渡仏した、10月のアジャクシオの風はカラッとしていて、気持ちのいい風であったのに対し、バスティアの風は潮風特有のベタつきがある、冷たく、とても強い風であった。海から近いところに観光地があるのは、共に同じであるのに、体感ではあるが、海の匂いや近くに潮があることを強く感じたのはバスティアの方であった。

また、入ってくる船に特徴がある。アジャクシオ港はフランス本土やイタリア本土へ向かう定期フェリー船が毎日出ているほか、それよりも大型の豪華客船やクルーズ船も停泊しているのを見た。アジャクシオはクルージングの重要な中継地にもなっているのだろう。そのため、フランス全体では2番目、コルシカ島では1番目に旅客数が多い港である。それに対して、バスティア港は観光のボートやフェリーの発着だけでなく、漁港としても利用され、フランス随一の海港として知られ、2007年には2,400万人以上が利用した。実際に、アジャクシオでは大きな客船、バスティアでは小さな漁船が並ぶ光景が印象的であった。

COMPARING TWO CORSICAN MAJOR PORT CITIES

SHIOMI, Tamaki
sophomore of the CUS

I compare Ajaxio with Bastia, which are port towns on the island of Corsica. First, I will give an overview of Ajaxio. This is located on the west coast, south of the island. This town has a population of about 60,000. It is famous as the birthplace of Bonaparte Napoleon. In Fosh Square in front of the City Hall, there are statues of Napoleon and four lions. Streets and high schools in this town are named for Napoleon.

Next, I will give an overview of the Bastia. This city is located in the northeastern part of the island of Corsica and is a port town located at the base of the Cup Colus Peninsula, which is said to be a feature of the form of the island. This city is famous as the city where Saint-Exupery, the famous author of "The Prince of the Stars" and "The Night Flight," has been confirmed at his last.

Since both cities belong to the Mediterranean climate, I didn't feel the difference in climate. But the winds were different. he winds of Ajaxio in October were dry and agreeable, while those of Bastia were cold and strong, with a dampness peculiar to the sea breeze. I felt the smell of the sea more strongly in Bastia than in Ajaxio.

The ships entering the port are also different. Ajaxio Port is home to regular ferries that go to the French mainland and the Italian mainland every day. I saw also the anchorage of a large luxury liner and cruise ships. This port has the second highest number of passengers in France. On the other hand, the Port of Bastia is known as the largest seaport in France because it is used not only for the departure and arrival of sightseeing boats and ferries but also for its fishing port. In fact, the sight of large passenger ships lining up in Ajaxio and small fishing boats lining up in Bastia was impressive.


コルシカ人にとってのナポレオン

1769年8月15日、この島の中心地アジャクシオにてひとりの男が誕生した。後にフランス皇帝となるナポレオン・ボナパルトである。ナポレオンが残した業績は誰もが知っているだろう。フランス革命後の大混乱したフランスを、武力をもって支配し皇帝となり、絶頂期にはヨーロッパのほぼ全土を支配するほど大きな力を持った。世界の各地、もちろん日本でもヨーロッパ全土に与えた影響から英雄とみられているナポレオンだが、一方でナポレオンが起こした一連の戦争では多くの犠牲者を出すなどナポレオンをあまり好まない人も大勢いる。実は出生したコルシカ島内でも彼はあまり好かれていなかった。

なぜナポレオンはコルシカ島内であまり人気がないのか。それはナポレオンが生まれる前に起きたコルシカ独立戦争と、島の英雄、パスカル・パオリが一つ大きな要因として挙げられる。コルシカ島はその地理条件から古くはイタリア半島のジェノヴァが植民地として支配をしていた。そんな中1729年に植民地支配への抵抗から反乱が起こり、それがコルシカ独立戦争へとつながった。この独立戦争の中でパスカル・パオリは指導者となりコルシカ島の独立のために奮闘した。このパスカル・パオリの副官を務めていたのがカルロ・ボナパルト、ナポレオンの父である。激しい対立が40年近く続いた1768年、ジェノヴァは財政難からフランスにコルシカ島を譲渡し、これによりコルシカ島の敵はフランスとなる。1769年、ナポレオンが生まれる年にフランスはコルシカ島全土を制圧した。最後までコルシカ島のために戦ったパスカル・パオリとは対照的に、カルロはフランス側へと寝返り、その報酬としてフランス本国の貴族と同等の権利を手に入れた。大学名や通りの名前としてあちこちで使われ島民の英雄とされるパスカル・パオリとは反対に、「売国奴」としてボナパルト家は島内であまり評価がよくない。

またボナパルト家の血筋もコルシカ島民にとってあまり好ましくないということもその要因として挙がる。ボナパルト家はイタリアにルーツを持つ血筋であり、ジェノヴァ植民地の時代に傭兵隊としてコルシカ島に住みついた。彼は純粋な「コルシカ人」ではなく、「イタリア人」とも言えるのだ。また彼は生まれ故郷のコルシカではなく、フランスの英雄となることを選択したのである。現在もコルシカ島に住む人々とフランス本土に住む人々の溝は深いように実際に島へ行って感じた。コルシカ島に住む人々は自分達のことを「コルシカ人」と名乗り、本土の人々との区別を図っている。そのような、フランスを忌み嫌う状態での、純粋なコルシカ人でなくともコルシカ生まれのナポレオンのフランスでの成功はフランスへの勝ち誇りの感情よりもコルシカ人への裏切りの感情の方が強くなったのだろう。それが現在のコルシカ人のナポレオン嫌いにつながっていると考えられる。

コルシカ島での宿泊は、教授の知人であるアネットさんの家に泊まらせていただいた。その家には様々な方が日頃から生活しており、その中にポーランド出身で現在はコルシカ大学に通っているポールがいる。彼はナポレオンについて、「ナポレオンはイタリア語とコルシカ語しか話すことができない。そのようなフランス人ではない、コルシカに愛着を持つべき人間が私利私欲のためにコルシカを裏切り敵対するフランスの英雄となった。このためコルシカ人はナポレオンを好まず、パスカル・パオリを英雄とみなしている」と話していた。英雄視され、もてはやされているだろうと考えていたナポレオンの意外な評価に大変驚き、またコルシカ人のフランスへの憎悪が感じられた。

NAPOLEON BONAPARTE POUR LE PEUPLE CORSE

FUNABAYASHI, Hiromi
3e SCIENCES HUMAINES

La Corse est l’île natale de Napoléon Bonaparte. Je pense que beaucoup de gens du monde l’aiment. Mais en réalité, il n’est pas très apprécié en Corse. La raison en est la guerre d’indépendance corse contre la péninsule italienne, qui s’est passée avant la naissance de Napoléon, et la présence de la popularrité de Pascal Paoli, qui avait connu un grand succés. Paoli est toujours un héros pour les Corses. En 1729, une guerre indépendante éclata avec Gênes qui dominaient alors la Corse à cette époque, et Pascal Paoli devint le général de la Corse. C'est le père de Napoléon qui a exercé les fonctions d'adjudant. En 1768, Paoli fut vendu à la France. Les ennemis devinrent plus tard la France. Contrairement à Pascal Paoli qui continuait à s'opposer au plein contrôle de 1769, le père de Napoléon se tourna vers la partie française. C'était la famille de Bonaparte qui a obtenu les mêmes droits que la noblesse du pays français. Pour cette raison, le Corse appelle Napoléon "troupes". De plus, la famille paolienne, son origine toujour corse, est préférée à la famille napoléonienne, dont l’origine se trouvait à Gênes. Je pense aussi que le sentiment anti-français en Corse cause également la haine contre Napoléon.


コルシカ島山岳部の石造建築

地中海に浮かぶコルシカ島は、他の地中海の島々とは地質上大きく異なる。なぜなら古生代ヒルカニア期の山地が第三紀アルプス造山運動の影響を受けて取り残され、「海中の山」とよばれる山の多い島となったからだ。造山運動の影響で標高200メートル以下の平野は少なく、東海岸中部のアレリア平野がやや広いだけで、1,000メートル以上の土地が全島の4分の1を占め、最高峰は北部のチント山は2,710メートルにもなる。2,000メートル以上の山々はコルシカ島中央部のコルシカ地域自然公園にある。コルシカ島で最大の都市、アジャクシオからコルテの南に位置するポッジョ村に移動する道中で立ち寄ったボコニャーノや、ポッジョ村の隣町のサン・ピエトロ・ディ・ヴェナコから、そのコルシカ地域自然公園の山々を臨むことができた。

フランスSV2018:サン・ピエトロ・ディ・ヴェナコでは稜線に沿って村がある

サン・ピエトロ・ディ・ヴェナコでは稜線に沿って村がある

サン・ピエトロ・ディ・ヴェナコの中腹では石積みの民家も見られた。建物の内部を見学していないが、おそらくこの建物は出隅を中心に大きい石を先に積んでいき、大きい石の隙間を小さな石で埋めるようにして作られた組積式構造であると思われる。出隅はわずかに武者返しのように下に行くほど広がっている。またよく見ると石と石の間にモルタルが見られず、完全な組積式構造であることがわかる。一般民家とはいえども4メートルほどほぼ垂直に石を積むことができるのは地震の少ない地域での石造建築と言える。

フランスSV2018:丁寧に石が組み合わさって積まれていることがわかる

丁寧に石が組み合わさって積まれていることがわかる

ARCHITECTURE EN PIERRE DE LA MONTAGNE CORSE

MORITA, Akihiro
2e SCIENCES URBAINES

J'ai étudié la statue de pierre de la terre montagneuse de Corse. Ce rapport va le décrire.

La Corse, qui flotte en Méditerranée, est très géologiquement très différente des autres îles de la Méditerranée. La montagne montagneuse du Paléozoïque a été laissée de côté par le mouvement orogénique des Alpes Tertiaires et est devenue une île avec de nombreuses montagnes. En raison du mouvement orogénique, peu de plaines ont une altitude inférieure à 200 mètres. La superficie d'un quart de l'île est supérieure à 1 000 mètres. Monte Cinto est le plus haut sommet de Corse, il culmine à 2 710 mètres.

Il y a plus de 2 000 mètres de montagnes dans Parc Naturel Régional de Corse, au centre de la Corse. Nous pouvions voir les montagnes à Bocognano et à Santo-Pietro-di-Venaco.

En outre, les couches de Corse sont devenues schisteuses il y a 50 millions d'années. C'est parce que les roches sédimentaires du côté est de l'île ont été pressées contre le granit qui a été soulevé du côté ouest de l'île il y a environ 250 millions d'années. Cette roche de schiste cristallin a une structure plane et a la propriété d’être facilement fissurée sous la forme d’une plaque mince. À Santo-Pietro-di-Venaco, nous pouvions voir un très rare bâtiment en pierre. Une cabane servait autrefois de lieu pour laver les vêtements et les châtaignes. Cette roche de schiste cristallin était utilisé pour la tuile du toit de la cabane.

Au milieu de Santo-Pietro-di-Venaco, il y avait une maison de maçonnerie. Peut-être que ce bâtiment semble avoir été construit en chargeant de grosses pierres d'abord au coin et en comblant les vides des grosses pierres avec de petites pierres Le coin se propage à mesure qu'il descend. En outre, lorsque vous regardez de plus près, vous ne pouvez pas voir le mortier entre pierre et pierre. Bien qu’il s’agisse d’une maison privée générale, c’est un moyen de construire une maison dans une région où les tremblements de terre sont rares.