中国は多民族・多宗教国家と言われる。確かに広州ではキリスト教教会が観光地となっており、民家や店には民間信仰を思わせるようなものが多数見受けられた。また、広州はイスラムが中国に入ってきた最初の都市の一つである。今回、「懐聖寺」と「先賢清真寺」の二つのモスクを訪問した。実際に訪れて感じたことやモスクでのインタビュー、歴史から中国におけるイスラムの広がり、中国とイスラムの関係について考えたい。
光塔。アラビア建築が印象的である。
中国とイスラムの関係は、約1300年前に遡る。唐の時代、シルクロードを通ってアラビア商人が運んできたのがイスラムである。そして特に海のシルクロードを通ってやってきたアラブ系ムスリム商人が建てたのが、今回訪れた「懐聖寺」と言われている。このモスクの建物自体は火事で焼失してしまったため清の時代に再建されたものだが、併設されている光塔(ミナレット)は唐代のアラビア建築のまま残っており、当時の様子を彷彿とさせるものであった。
中国とイスラムを語る上で避けられないのが中国少数民族である。中国には漢民族と55の少数民族がいるが、その中でイスラムを信仰する民族はウイグル族やカザフ族など10存在する。そして、約2300万人(2010年人口統計)いる中国ムスリム少数民族人口の中で最も多いのが回族である。中国の回族は唐・元の時代のムスリム移民の子孫や漢人の改宗者からなっている。しかし、今日全ての回族がイスラムではないことは留意すべき点であろう。現在回族は中国全土に広がり、漢語を母語としている。
もともと回族は「回回」「回民」と自称し、他称された。しかし、中国共産党によって漢語を話す回民は「回族」という民族として認められた。そして連邦制国家を目指し、民族自決権を諸民族に与えていた体制から「民族区域自治政策」へと体制を変えた。これは諸民族に区域自治・文化・宗教を認める代わりに、少数民族を国民国家へ統合させることを目的とするものであった。回族及び他の少数民族は、この政策によって少なくとも信仰の自由を認められたと言える。
先賢清真寺での礼拝の様子
先賢清真寺は2009年に広州で行われたアジア競技大会の後に設立された比較的新しいモスクである。私たちが訪れた金曜日はムスリムにとって重要な曜日であり、集団で礼拝するのが通例となっている。先賢清真寺では、金曜の昼間にもかかわらず多くのムスリムが礼拝に訪れていた。それは、訪れるムスリムが小売業を営んでいて好きな時間に礼拝に来られるということ、昼間に礼拝に行く代わりにその分の仕事を残業に回すムスリムがいるということが理由だそうだ。また、モスクの周りだけでなく街中にもハラル(イスラムにおいて許された行為を指す)フードの店が多数見受けられた。
礼拝は五行のうちの一つであり、また、イスラム圏ではない土地でムスリムが暮らす上で問題となるのが食である。礼拝のために働き方を変え、ハラル食品を簡単に手に入れることのできる広州は、ムスリムにとって信仰実践しやすい場所と言える。そしてそれは中国とイスラムの長い歴史とともに、現代の政府の方針によってかなってきたことであろう。
先賢清真寺では、様々な人種が混在している様子が伺えた。聞けば、男性ムスリムの約半数が東南アジアやアフリカ、インドなどから来た長期または短期滞在のムスリムであるという。この様子は近年の急速なグローバル化を体現しているかのようであった。今や中国におけるイスラムの広がりは、少数民族だけで語ることができないであろう。また、懐聖寺・先賢清真寺はいわゆるドーム状のモスクという形とは程遠く、どちらかといえば日本の寺のような形をしていた。一見モスクだとわからないような場所で様々な人種のムスリムが礼拝をしている姿にグローバル化の波を感じつつ、中国のローカルな文化との融合を感じた。
懐聖寺において
中国とイスラムの関係はもちろん広州だけでは到底理解できない。しかし、現地に足を運ぶことで、イスラムという宗教が歴史とともに広州に根付き、近年のグローバル化によって広がり、中国文化と融合する様子を肌で感じることができた。今日、押し寄せるグローバル化の波と日本政府の政策により、在日ムスリムの数は増加が見込まれる。しかし、日本でのイスラムの受容はあまり進んでいないのが現状であろう。今回の広州訪問は、今後の日本とイスラムの関係を考える良いきっかけとなった。