シンガポールに行くと決まった時、私たちが一番初めに学んだことは、シンガポールは社会格差のおおきい国だということだった。社会学の視点を持っていくSVなのだから当たり前のように思うかもしれない。しかし私たちがきちんと学ばなければいけないことはもう一つあったように思う。それは太平洋戦争の最中、日本はシンガポールを攻撃し、陥落させ、占領し、名前を付けた、という歴史だ。シンガポールでも配給制が行われ、自給自足が推奨されるなど多くの人々が苦しい思いをした。そのような苦難の歴史を忘れないための記念碑がシンガポールのいたるところにある。
普通にシンガポールを観光していたら気が付かないことを今回のSVをきっかけにして気づくことができてよかったと思う。私はこれから歴史を学んでいこうと思っている人間だから、現地に行って知ることができて本当に良かったと思う。
日本占領時期死難人民記念碑
シンガポール・ダウンタウン・コアの戦争記念公園にある高さ約68mの慰霊塔。1960年代初めに発見された日本軍による華僑粛清の犠牲者の遺骨を納めた。また、日本占領時期の市民戦没者追悼のために建てられた。「チョップスティック」(箸)の愛称を持つ。
最寄駅はcity hall 駅。
建物外観
シンガポール侵略作戦を描いた戦略地図
出征幟
1941年に建てられた東南アジア初のフォード工場。1942年2月15日に当時宗主国のイギリスが侵攻してきた日本に対して降伏を宣言し、ここで降伏文書の調印が行われた。この時点からシンガポールは日本の占領下に入る。現在は建物を日本のシンガポール侵略および占領時期の資料を展示している。
Beauty World 駅から徒歩15分またはバスで3駅(約5分)
シンガポールを普通に観光していたらきっとこんなところにはいかないと思う。現地の人は日本人と聞くとちっとも嫌な顔をしないで「こんにちは」とか「かわいい」とか日本語を話してくれたりする。確かに旅行客に対していきなり罵詈雑言を浴びせるような人はめったにいないと思う。それでも日本が占領したことがあると知ってシンガポールに来れば気づくことが多いだろう。シンガポール国立博物館にも侵略と占領の歴史を展示した場所が大きなスペースをとっている。それだけシンガポール史における重要性が大きいということだろう。
シンガポールにおいて日本軍による占領の資料や記念碑が多く残されていることを鑑みて、もしかしたらシンガポールは日本を依然として嫌っているのかもしれないと考える人がいるかもしれない。その疑問に対して私は「それは違う」と言いたい。先にも挙げた”forgive but never forget” がシンガポールでは根付いているからだ。日本によって被った多くの苦難は確かにあったし、多くの犠牲を出した。そのことは決して忘れないが、未来を考えるときそのことを考えていたら埒が明かない。だから許そう。そのような心持で私たちとかかわってくれている。
許してくれたからそれで終わりということではないとおもう。日本はもっとこの事実を知るべきだと思うし、シンガポールで何かにかかわるとき日本人として何ができるか考えていきたいと思う。
ここではシンガポールと日本の過去について述べたが、これだけを学んだのではない。社会格差のこと、シンガポールで働く日本人のこと、住宅事情など多くのトピックについて学んだ。しかし私がシンガポールを考えるときに忘れてはいけないと思うことは日本による侵略と占領だった。そうではないと思う人もいるかもしれない。それでももしシンガポールに行って何か事業にかかわるとき、留学生として学ぶとき、いろいろな立場があるだろうと思うが、少しだけ歴史を思い出してほしい。何か違う視点が生まれるかもしれない。そして成し遂げた何かがシンガポールと日本の双方の発展の一助となったらうれしい。