私たちは今回の韓国SVでソウル市の都市再生事業に大きな興味を持った。本稿では、その中で訪問先のソウル市立大学の講義で紹介された「ソウル路7017」計画と「文化備蓄基地公園」、「清渓川復元事業」について堀内凱斗が、次にタシ・セウンプロジェクトについて阿部薫が解説する。そののち、それら都市再生事業を巡って、韓国SVに参加した学生の疑問や見解を紹介し、都市再生事業の在り方を論じる。
1つ目の事例は「ソウル路7017」と呼ばれる計画だ。ソウル駅周辺の高架道路を改修し、遊歩道に利活用したものである。高架道路は1970年にソウル駅を横断する車道として誕生した。その後、高架道路への重量規制が強まり、また当該路での交通渋滞から改修が検討された。そして2017年に歩行者専用道路として新たな姿へと生まれ変わった。
この歩行者路は、従来、歩行者がソウル駅の横断にかかっていた時間を大幅に短縮させた。またソウル駅から主要な観光施設や公共施設へのアクセスをより利便性の高いものにしている。さらに、遊歩道には多くの樹木や植物が設置され、夜にはライトアップされるなど、景観に力を入れている。改修された遊歩道は、都市に住む人々や観光客の交通を支え、またソウルの街を価値あるものとする機能を果たしている。
2つ目の事例は「文化備蓄基地公園」と呼ばれる文化施設だ。ここは、従来石油を貯蔵するタンクがあった。2002年のサッカーW杯を期に貯蔵の役目を終えた。そんな施設を、別の目的で再利用できないかと考え、市民らの公募により、文化空間として生まれ変わった。
公園は、タンクの面影を残したカフェや野外音楽堂に変わり、市民の憩いの場となっている。また情報交換センターなど地域交流の場としても開かれている。さらには遺産として、一部のタンクをそのまま残し、後世に伝える役目も果たしている。ある石油貯蔵施設が、都市に住む、様々な目的を持った人が一介に利用できる公園、また歴史を伝承できる場所となったことは目覚ましいものだろう。
3つ目に「清渓川復元事業」についてである。現在は水が流れる清渓川であるが、事業以前は川は埋められ、川の上に高架道路が通っていた。高架道路の橋の老朽化と川の埋め立てによる悪臭被害等を改善するために、清渓川の復元事業は始まった。事業は、川を掘り起こし、そこに他の河川から水を引き、河岸を遊歩道にすることであった。
事業によって、景観は著しく変化した。地価は上昇、地域の活性化を齎した。昼間にはスーツ姿で歩くサラリーマンの姿をたくさん見かけることができた。川のせせらぎや涼やかさを求め、人々が歩く様は、都市における自然の理想像の一つともいえる。
高架道路の解体により危惧されていた交通渋滞は、公共交通機関の整備や迂回経路の整備によって、回避できた。これは、復元事業のおかげでインフラも整備されたと考えることもできる。一つの事業に様々な狙いが込められていることのわかる良い例である。
セウン商店街は1968年に韓国初の総合家電専門商店街として誕生し、それ以降、国内から多くの人が訪れ、工業を中心に急速に発展した。現在も飲食店や雑貨屋など様々なお店が軒を連ねる中、一番多く見受けられたのは家電製品や電子製品を扱う昔ながらのお店である。しかし、この繁栄は長くは続かなかった。カンナムやヨンサンの開発により、セウンの強みであった総合家電専門街としての意義が薄れ、1990年代後半にはセウン商店街全面撤去も計画された。それ以降この街は衰退の道を歩むことになり、活気が失われたのであった。「清渓川復元事業」街として衰退が続く中、2015年からタシ・セウンプロジェクトという大規模な都市再生プロジェクトが始まった。セウン商店街を中心とした、固有の文化・産業を反映した新たな街を実現し、若者からお年寄りまで様々な人々が訪れる、そして現地住民の憩いの場として賑わいのある街として生まれ変わった。空中歩道では若者が多く見られ、ひと時を過ごせるようなお洒落な椅子もあった。空中歩道の下にあるスペースでは主にイベントやライブが行われるそうだ。このようにこのプロジェクトでは都市空間を有効に使い、文化・産業・生活が一体となった新たな街として生まれ変わった、とプロジェクトに携わった方は仰っていた。
下の写真は、セウン商店街の屋上から撮影したものである。前方にはぼろぼろのトタン屋根が多く見られる一方、後方にはそれを見下ろすように大きなビルが立ち並んでおり、非常に対称的な光景である。この光景を見たとき、都市再生の意義について改めて考えさせられた。都市再生と聞くと、街全体が整備され、個々が特有の価値を持つような明るいイメージが連想されるが、セウンはそうではなかった。思い描いていた都市再生とは大きく異なるものだった。
そこで私たちはこの古い家々を見て回ることにした。実はこの一つひとつの古い建物はほとんど全てが下請けの工場で、家電製品や電子製品に使われるネジや金属板をはじめとする多種多様な部品が作られていた。衛生環境も悪く、商店街とは全く異なる雰囲気が感じられ、正直、居心地は悪かった。右の写真はその一つを撮影したものである。あまり撮影はすすめられないとのことで、この一か所のみしか撮影できなかった。
日本の都市中心部に下請け工場はまず見られない。私の中で都市とは、経済の中心地で、インフラが整備された利便性の高い場所という認識があり、東京や大阪、横浜も事実そうである。日本の都市とソウルの都市の在り方の違いが、再生事業に多く影響を及ぼしていると理解した。韓国の考え方ではこの古い建物が並ぶ地域にも独自の文化が存在し、昔の形のまま残すということも都市再生と言うのだろうか。しかし、そうは言っても、未開発地域では治安の悪化や災害に対する脆弱性の低下といった様々な問題が生じ、将来、何か手を加えなければ地域としての存続が厳しくなるのではないかと思う。韓国の都市再生はどうあるべきなのだろうか、、、
これらの事例から、私たちは各々都市再生を感じ、多様な視点で都市再生について考えた。
ある学生は、「建築」や「経済」的な視点から都市再生について考えた。彼は、日本は古い構造物を壊して更地にし、そこに新しい価値を創造するが、韓国は古い建築物をリノベートすることで都市再生を実現しているという。日本式の都市再生は、より魅力的な価値を創造する可能性を秘めているが、コストが大きくなりやすい。金銭的制約と照らし合わせ、柔軟に都市再生を実行するバイタリティを持っているのは韓国式の都市再生だと彼は言った。
また、別の学生は、「社会」的視点から都市再生を論じた。彼は、都市再生によって、ただ遊歩道や地域コミュニティセンターが作られたのではなく、作る際に、市民からの要望を聞き取り、その場所を利用する人にとってそこがどんな存在になるか、よく想像し計画・事業を行なったと推察した。確かに、一部の人に限らず、都市のより多くの人をターゲットにした施設が作られ、実際多くの人がそこを利用し満足しているように、私は感じ取れた。
さらに、「生態系」やの視点から都市再生を考察する学生もいた。彼は、清渓川が他の河川から水を引いてできた川で、本物の川でないことに、違和感を覚えたそうだ。確かに、他の河川の水が引っ張ってこれなくなったらそこに住む生物も自然も空間も維持できなくなる。都市空間に現れた自然は、離れた自然の恩恵であることと結び付けて守っていくことが都市における自然教育につながると考察した。
事例や学生らの意見から、どのような都市再生を目指すべきだろうか。あるべき都市の理想像が存在するとしても、それにいきなり向かうことは、経済的にも社会的にも、多くの視点から見ても厳しいだろう。しかし、都市の抱える諸課題や要望に一つずつ対応することで、理想に近づけていくことが望まれるのではないだろうか。また、こうした諸課題や要望に応えるには、都市に住む、様々な価値観や目的を有する人と向き合い、より広範にその意見を取り入れるよう試みることが求められるだろう。ここでいう「広範に」の対象は、都市における弱者や未来世代の人、およびその環境も含まれている。そうすることで、より多くの人にとって、意義ある都市再生になるのではないだろうか。