私達は到着して、2日目に講義を受けるために、ロンドンのホルボーンにある、ロンドン大学に訪れた。この大学は街の中に、大学のキャンパスが点在するというスタイルの大学であった。その街の中には、大学のキャンパスがあり、また、大学生が集まるパブなどあった。つまり、街と一体化した大学である。ロンドンの大学の多くはこのようなスタイルであるそうだ。この点で日本のキャンパス大学とは、大いに異なった為に、私は驚いた。
ロンドン大学 校内
ロンドン大学 外観
今回、講義をしてくれたのは齊藤先生の知人でもある、アラン・メイス先生である。メイス教授は、都市開発についての研究をしており、「現在のロンドンにおけるエスニシティ」についてお話をしてくださった。ロンドンは現在、多民族国家の国となっている。町の中を少し歩いただけでも強く感じることではあったが、周りを見るといろんな国の人がいる。特に大学には多くの外国からの留学生や教員が集まっている。アラン先生はロンドンで生まれ育った方であったが、現在のロンドン大学では彼のような“生粋のロンドン生まれ”というのは珍しいという。移民として、イギリスに入ってきた後に何世代にもわたって住んでいるケースが多いそうだ。
ロンドンの戦後の移民の増加には3つ波があった。第1波は1950年代における労働力の不足を補うため、主に旧植民地だった国から移り住んだ人たち、第2波は第1波で移り住んできた人々の家族や親せきの移動、第3波は1980年代における産業の国際化とともに増加した移民や難民であった。それらの移民者はもともと住んでいたイギリス人がつきたがらなかった職業、例えば地下鉄などの交通関係や夜間の清掃業など、につく場合も多かったのである。
加えて、彼らの住む地域についても、昔と比べて変化がある。彼らは以前は仕事場の近くであるロンドンの中心部に多く暮らしていた。しかし、現在は彼らの多くは郊外に分散して暮らしているため、以前のような集中は見られなくなってきている。
アラン先生のスライドの1例
世界中から人々が集まるロンドンには、様々なコミュニティのための宗教の施設が存在している。Fieldgate East Great Synagogue は1899年につくられたユダヤ人のシナゴーグである。東ロンドンにおけるユダヤ人人口が急増したことで、500ポンドの寄付によって建設された。建物自体は元からあったものであり、シナゴーグのためのものではなかった。しかし、内部を改装することでシナゴーグとして成立している。このような方法は他の宗教施設でも見られるものである。後日訪問したモスクも既存の建物を改装したものであった。
このシナゴーグはロンドンの宗教的多様性を示すほんの一例であり、イスラム教・ヒンドゥー教・仏教など多数の宗教施設が点在している。また、ロンドンの”多様性”を示す興味深い事例として、南ロンドンに位置するペッカムが取り上げられた。ペッカムの「ライレーン」という道に立ち並ぶ商店の所有者の約3分の1は、4つ以上の言語を話すことができるという。所有者の出身地を世界地図上に示すと、アジアンからアフリカ、中南米に至るまで、世界中から集まってきた人々が商店を経営していることが分かった。日本では考えられないデータを目の当たりにし、非常に驚いた。
アラン教授は、講義の最後に「ロンドンはこれほどまで多種多様な人々が集まっていてもある程度の秩序を保っている“成功例”と言って良いだろう」「みなさんには日本の未来について考えてほしい」とおっしゃっていた。今後、外国人人口が高まっていくことが予想される日本において、人々が共生していくためにはどうすれば良いのだろうか。ロンドンの事例から学び、日本のこれからを考える契機となる講義であった。