地中海の真ん中に浮かぶ、というよりもそびえ立つようなコルシカ島には、2000m以上の頂が120箇所以上あり、地中海で平均高度が最も高い島でもある。
島の中央を分かつように山脈が走り、アジャクシオなど南西部分は花崗岩、北東部分は頁岩が大半を占めている。またボニファシオやサンフロランの土壌は石灰質で、淡色の輝くような岩が特徴的だ。このような鉱物の豊富さは、島の入江や沿岸線、岬の複雑な地形、吸い込まれるように鮮やかなコルシカ・ブルーの海の発色と相まって、荘厳な風景を削り出している。
今回我々が訪れたのは、島の北東部分に突き出した半島のカップコルス地方である。湾岸を縁取るように伸びる車道の風景は、透き通るように美しい海とは対照的に、荒々しく斜めに突出した頁岩や石綿による山の稜線に特徴付けられる。
コルシカ島の地質の成り立ちは、2億5千万年前に西側で隆起した花崗岩に5千万年前に東側の堆積岩が押し付けられ、結晶片岩ができたことによる。結晶片岩は板状や柱状の方向性をもった鉱物が結晶化してできるため、その構造に沿って割れやすいという特徴をもつ。
脆く風化しやすい岸壁や車道に不安を抱きながら車を走らせていると、村の丘の上に、カップコルス北端の海を臨む「マテイの風車」にたどり着いた。この風車は、ヒマラヤ原産の柑橘類であるセドラを用いたリキュールの生産が盛んであったころの名残である。2004年に修復されて以来、カップコルスの産業の盛衰を顧みる観光地となっている。
セドラ・リキュールの工場は港町のバスティアに移されて以来、コルシカの特産品として世界に名を知らしめた時期もあったが、現在のセドラ栽培は個人農家の手にとどまり、バスティア市内にあったセドラ酒醸造工場も廃墟と化している。
その日は少しひなびた感じのする港の集落、サンテュリに泊まった。この集落は先ほどのマティの風車から見下ろせる位置にあるのだが、カップコルスの集落やジェノヴァ統治時代の監視塔は大抵の場合、数カ所の港や入り江を一望できるような山の起伏の上に作られているようだ。断崖絶壁の山肌に忽然と現れる教会や灯台を中心にした集落の数々、それらは決まって海からやってくる侵略者に対しての防衛と連携の結果でもあったのだ。そのように隔絶されて交流も豊かではない集落では、その土地の素材を活かし、風景に溶け込むような景観の家や施設が多い。例えばサンテュリの建物はレンガを積む替わりに板状の頁岩を積み、セメント材で隙間を埋めて壁を作っている。古い家屋の壁面が欠落した様子から伺えるこの構造は、サンフロランやバスティアの旧市街でも見られた。さらにサンテュリの家屋の屋根は、トタンよりも頁岩をちょうど日本家屋の瓦のように敷き詰めた体裁をしている。日本人として親しみを感じつつも、コルシカの風土に合い、被支配の歴史を感じざるを得ない建築様式。不思議な心地がした。