フランスSV

コルシカ島第2の都市 バスティア

後藤彩日
人間文化課程 1年

バスティアはコルシカ島の北東部、カップコルス地方の付け根に位置する。島の半分を占めるオートコルス県の県庁所在地で、人口約4万人のアジャクシオに次ぐ第2の都市。経済的中心地のため観光客も多く訪れ、漁港、ボートやフェリーの発着港としてもにぎわいを見せる港湾都市である。

バスティアは大きく5つのエリアに分かれる。北からトガ地区、新市街地、テラ・ヴェッキア、テラ・ノーヴァ、ルピーヌ地区である。最も北のトガ地区は19世紀に製鉄所が設けられた工業地帯で、数十年前からは産業衰退に伴い廃墟同然の地域であったが、近年ショッピングセンターやプレジャーボート港などが整備された最も新しい住宅街である。一方、最も南にあるルピーヌ地区は、トガ地区再開発の前に郊外の住宅地として開発されたが、団地が多く、建造物の老朽化も進むやや荒廃している地区である。一方、国道沿いは大型店舗が立ち並び、渋滞も頻繁に起きるフランス郊外ならどこにでも見られる光景である。

今回直接訪れたのはその間にある3つの地区である。バスティアの北部を占めるサンニコラ広場を中心とする「新市街地」、続いてサンニコラ広場の南側から旧港にかけての旧市街「テラ・ヴェッキア地区」、そして旧港の南側の「テラ・ノーヴァ地区」である。それぞれの地区が様相を異にするため見どころが多い街といえる。

新市街地

バスティアの北部に位置する新市街地は、1769年のフランスによる統治後に新しく築かれた地区である。海沿いにあるサンニコラ広場やコルシカ鉄道の駅、県庁、土産物店、ホテルやレストランなどがあり、バスティアの商業の中心地となっている。

サンニコラ広場は、南北280m、東西80mの長方形をした広場で、バスティア市観光案内所の説明によれば、「スケール(Square)」すなわち四角形をした広場としては、フランス最大級のものである(今回のツアーで訪れたパリのレピュビリック広場とほぼ同じ形状、面積)。観光案内所もあるなど新市街地の目印となっている。この広場には、普段は隣接するカフェのテラス席が並んでいるが、大規模な市場やイヴェントが開かれることもある。100本を超えるヤシの木のほか、大理石のナポレオン像や第二次世界大戦で活躍した潜水艦カザビアンカ号(18世紀のコルシカ人船乗りの名前で、1935年潜水艦竣工時にコルシカ出身のピエトリ海軍大臣が命名した)が置かれている。

サンニコラ広場(南側から撮影)

サンニコラ広場(南側から撮影)

サンニコラ広場(北側から撮影)

サンニコラ広場(北側から撮影)

サンニコラ広場北東端にある潜水艦カザビアンカ号。ドイツ軍艦3隻を撃沈した

サンニコラ広場北東端にある潜水艦カザビアンカ号。ドイツ軍艦3隻を撃沈した

サンニコラ広場に並行し、旧市街地にある裁判所にまで至る大通りを「パオリ大通り(Boulevard Paoli)」と呼び、バスティアのメインストリートである。土産物屋などの観光関連の店舗もあるが、それよりも小売店(服飾、時計、眼鏡、食品、スポーツ、書籍など)や金融機関、開業医、劇場やカフェなどが多い庶民的な通りである。40年前までコルシカ島最大の都市アジャクシオまで連絡する国道193号線の起点だった。今は路線バスが通るものの、国道の面影はみられない。

パオリ大通り

パオリ大通り

テラ・ヴェッキア地区

サン二コラ広場から旧港にかけての旧市街地はテラ・ヴェッキア地区と呼ばれる。テラ・ヴェッキアとはイタリア語で「古い街」という意味で、ジェノヴァの統治初期(14〜15世紀ごろ)建造された建物が今もなお残る、路地と住宅が入り組んだような地域である。この地区にはサン・ジャン・バプティスト教会があり、バスティアを代表する建築物である。17世紀に建造され、コルシカではあまり見られない2つの鐘楼からなる。

旧港とテラ・ヴェッキア地区

旧港とテラ・ヴェッキア地区

マルシェ広場

マルシェ広場

テラ・ヴェッキアの佇まい

テラ・ヴェッキアの佇まい

テラ・ノーヴァ地区

旧港の南側はテラ・ノーヴァ地区。この地区のいちばんの特徴はジェノヴァ統治時代に築かれた城塞に囲まれていることである。コルシカは13〜18世紀はジェノヴァ共和国の植民地で、バスティアには16世紀からその総督府が置かれた。ジェノヴァ総督府があったのがテラ・ノーヴァ地区で、ジェノヴァによる統治の中心地であった。かつての総督府の建物はコルシカ民族博物館として活用されている。また、ヨットが多数停泊する旧港からのサン・ジャン・バプティスト教会の眺めは美しい。

ジェノヴァ総督府 ジェノヴァ総督府 ジェノヴァ総督府

ジェノヴァ総督府

プンテットゥ

バスティアの中でも最も中世ジェノヴァの雰囲気を残している地区は、テラ・ヴェッキアとテラ・ノーヴァの境界、すなわち旧港南岸の丘陵地にある「プンテットゥ(Puntettu)」と呼ばれる細長い区域である。プンテットゥとはコルシカ語で「小さい橋」という意味で、古い集合住宅の3階、あるいは4階以上の高層階から細い路地を挟んだ向かいにある集合住宅の間に、人が通れそうもない小さい橋がかけられている建造物があちこちに見られる。

プンテットゥは観光拠点であるテラ・ヴェッキアのサン・ジャン・バプティスト教会とテラ・ノーヴァの旧総督府の狭間にあるため、観光客もあまり訪れない庶民的な街であったが、狭い老朽化した建造物が多いことから、次第に空き家が増え治安や倒壊の危険にさらされるようになった。電気や電話などの電線や配管が後から無秩序に敷設され景観的にも見苦しい状態であった。市はこの地区を完全に更地にして、ただでも不足している大型バスの駐車場にする計画を立てたが住民の強い反発を受け、結果、昔の街並みを取り戻す事業を行うこととなった。私たちが訪問した時はまだその工事中であったが、竣工後の昔のジェノヴァ風の街並みがどのようになっているのか楽しみである。

バスティアは、高層ビルや大型ホテルも林立するすっかり近代化された本家ジェノヴァよりもジェノヴァらしい街並みが残るともいわれている。また、色鮮やかな壁面の建築が多く、海の眺めも良いため美しい港町という印象を受ける。3つそれぞれの地区を歴史的背景とともに巡るのはとても興味深いと感じた。