パイロットの服装のサン=テグジュペリ
(出典 IWC Schaffhausen アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ・ユース財団WEBサイトより)
サン=テグジュペリ(本名 Antoine Marie Jean-Baptiste Roger, comte de Saint-Exupéry)は代表作「星の王子さま」で知られる作家である。
生まれはフランス・リヨンであるが、コルシカ島とも関わりを持つ。しかし、戦争という時代背景がなければその関わりもなかったかもしれない。
経歴としては飛行士としての業務が先であり、民間航空事業の傍ら、26歳で作家として本格的にデビューする。自らの飛行士としての経験をもとにした作品を作ることが多かった。著作は世界中で愛読され、後に敵となるドイツ空軍にも信奉者がおり、サン=テグジュペリが所属する部隊とは戦いたくないと語った兵士もいたという。しかし、この作家と愛読者、フランス軍とドイツ軍という構図が後に悲劇を引き起こす。
第二次世界大戦の折、サン=テグジュペリはフランス軍偵察隊に配属していた。フランスは1939〜1943年の間ドイツとイタリアに占領されていたが、コルシカやニースを占領していたイタリアが連合軍に寝返ったことから、コルシカはフランスで最も早く解放された地域となった。1944年、サン=テグジュペリが当時配属していた部隊がコルシカ島へ進駐、7月31日にコルシカ島のボルゴ基地(現:バスティア・ポレッタ空港)から偵察機P-38(F-5B)単機で出撃、その後地中海で行方不明となった。サン=テグジュペリのその後については様々な推測がなされたが、2000年に地中海マルセイユ沖にサン=テグジュペリの搭乗機が確認され、2003年に引き上げが行われた。
サン=テグジュペリの偵察機を撃墜したのは当時ドイツ軍Bf109のパイロットであったホルスト・リッパート曹長であったと言われている。彼はサン=テグジュペリ作品の愛読者であり、2008年に新聞のインタビューに対し、「長い間、自分が撃ち落としたあの操縦士が彼(サン=テグジュペリ)でないことを願い続けた。彼だと知っていたら撃たなかった」と話している。 現在のバスティア・ポレッタ空港には、サン=テグジュペリ出撃記念碑がある。そこには
“LA CORSE RAPPELLE QUE D'ICI L'ÉCRIVAIN AVIATEUR DE SAINT EXUPERY S'ENVOLA LE 31 7 1944 POUR SA DERNIÈRE MISSION DE GUERRE”
(コルシカ島は1944年7月31日、作家で飛行士のド・サン=テグジュペリがここから戦争の最後の任務に飛び立ったことを忘れない)
という文字が刻まれている。