台南は、17世紀のオランダ統治時代から19世紀末の清朝統治時代末期までの台湾における、政治や文化の中心であった。安平に行くタクシーの運転手が「台湾、京都」と言っていたが、そのとおり台湾の古都である。私たちは台南で、赤嵌樓(せきかんろう)、大天后宮、孔廟、安平古堡(あんぺいこほう)、永楽市場などを訪れた。ここでは台南の歴史の流れに沿って紹介していきたい。
1624年にオランダ人が築いたゼーランディア城の跡である。現在残っている建設当時のままの部分は、赤煉瓦の壁一枚だけである。ゼーランディア城は、台湾では最も古い城堡であり、オランダの台湾統治時代、植民統治や貿易の行政中枢として使われた。
安平古堡には、オランダ人勢力を排除した鄭成功の活躍を讃える像や、字や絵が描かれた石板がある。1777年、鄭成功はゼーランディア城包囲戦で城を陥落させ、オランダ東インド会社を台湾から駆逐し、鄭氏王国を建てた。その際に城は安平城と改名され、鄭氏政権の居城となった。
その後、清朝の勢力が台湾に伸び、安平城は次第に荒廃していった。1873年のイギリスの攻撃により、城は廃墟となってしまった。
敷地内には展望台と記念館があるが、これらはいずれも日本統治時代に建てられたものである。
赤煉瓦の壁や洋風建築に似つかわしくない、ガジュマルやフランジパニなどの南国の植物が生えていてエキゾチックな雰囲気だった。
1653年にオランダ人が築いた、プロビデンシア城と呼ばれた砦である。その当時は防衛拠点として利用された。今でも奥のほうには当時の赤煉瓦の壁が残されている。
ここにも鄭成功の像が建てられていた。オランダ人が鄭成功に降伏している場面の像である。鄭成功時代には城は東都承天府と改名され、安平城とともに統治の中心地となっていた。
清朝時代に城は破壊され、19世紀後半になると跡地に分昌閣や海神廟などの中国式楼閣が建てられた。壁の色や窓の形、屋根の飾りには洋風の雰囲気が感じられ、オランダ統治時代の建物の影響を受けているように思えた。ここでもガジュマルやヤシなどの南国の植物が生えていて、オランダや中国の建造物とミスマッチな感じがし、台南らしさが感じられた。
1665年、鄭成功の息子の鄭経によって建てられた台湾最古の孔子廟。日本統治時代までの約200年間、台湾における儒学の最高学府であった。入口の門には、台湾における学問の発祥の地であることを示す「全臺首學」と書かれた額が飾られている。名前の通り、孔子が祭られていて、お参りすることもできる。楽器庫などの当時の倉庫は、小さな博物館のようになっている。
赤い壁と屋根が印象的で、庭もきれいに整えられていた。大きな通りにあるのにも関わらず、落ち着いた雰囲気があった。
1684年に建てられた台湾最古の媽祖廟(まそびょう)であり、台湾における媽祖信仰の中心となっている。媽祖とは、航海・漁業の守護神である女神で、中国沿海部や台湾で信仰されている。台湾には多くの媽祖廟があった。
媽祖廟には独特のやり方でお参りをしている人たちがいて、媽祖が地元の人たちによく信仰されていることが分かった。私も中国の留学生の先輩にやり方を教えてもらって、安平の媽祖廟でお参りさせてもらった。