飛行機で揺られながら2回のトランジットを経ること30余時間。私たちはついに日本の反対側にある国・パラグアイに到着した。最後のTAM航空のフライトではみんな慣れないトランジットに疲れているのか渡航序盤どころかたどり着いてもいないのにぐったりしていた様子。無事アスンシオンに到着すると現地の時刻は夕方で綺麗な夕陽と藤掛教授の友人の方々が私たちを迎えてくれた。
初日は、行動が夕方からだったこともあり、ライトアップされている大統領府の前で写真撮影をした後、滞在先となる日系福祉センターへ移動して現地で必要な食事や洗剤などの買い出しを済ませて終了した。通貨であるグアラニーには皆困惑し、スペイン語でのやり取りにも戸惑ったが、これから1ヶ月間この生活に慣れていかねばならない。写真は大統領府。
2日目、代表者5名が藤掛教授とともに在パラグアイ日本大使館を訪問した。神谷大使からパラグアイの状況や日本との関係を教えていただき、私たちの活動についてお話させて頂いた。パラグアイの政権交代後の大変忙しい時期であるにも関わらず、私たち学生のために時間を設けてくださったことには感謝しきれぬ限りである。大使館訪問の後は、車で1時間くらいの所にあるイタウグアという地域にある、ニャンドゥティの製作所に見学へ行った。ここでは実際に、2人の女性によるニャンドゥティ作成のデモンストレーションを見せて頂いた。完成品しか見たことのない私たちにとって、太い糸と細い糸を使って細かい模様を縫う作業はとても新鮮で、ニャンドゥティへの理解を深めることが出来た。私たちの団体名にもなっているニャンドゥティは今後もイベントで販売・展示していく予定である。是非、手に取ってその緻密で洗練されたテキスタイルを見ていただきたい。勿論、その売り上げはパラグアイの教育支援等に充てられる予定である。
3日目、この日は大変濃い内容の1日であった。まず、駐日パラグアイ共和国特命全権大使の豊歳直之大使のご子息のマルセロさんが経営するTOYOTOSHIカンパニーを訪問・見学させて頂いた。マルセロさんは著しい経済成長率を誇るパラグアイ共和国の中でも一流企業であるTOYOTOSHIグループの代表を務めており、忙しい中私たちのために時間を割き対応してくださった。 次に、日本パラグアイ学院を訪問した。日本パラグアイ学院は幼稚園から高校生まで多くの学生が同じ敷地内で勉学に励んでいる学校で、日本の学校とは違ったコミュニティがそこにはあった。この学校は豊歳大使の尽力によって建設された施設で、将来のパラグアイ社会を担っていくリーダーとなる人材の育成がなされているとのことである。数名の学生と話をすることができたが、彼らの意識の高さと彼らの日本語の上手さには驚きであった。園児たち、児童たち、生徒たちがみな意欲的に日本文化に触れ、そして私たち日本の学生を囲み交流を深めようとするその瞳の輝きから、彼らは将来の日本とパラグアイの懸け橋、また、世界とパラグアイとの懸け橋となりうるものを感じた。 さらに、マルセロさんのご厚意で車のシートの縫製工場の見学が可能になり、TG Cuir International S.A.を訪問させて頂いた。工場長を務めていらっしゃる日本人の中曽根さんの案内でなかなか見ることのできない自動車のシートの革の検定作業から出荷段階まですべての工程を見学した。この工場で作られているシートは質の高いことで有名で、企業の若いパワーが感じられた。その後は、NIHON GAKKOへ。学長を務めていらっしゃるオルテガ夫妻はじめ、生徒みなでセレモニーを開いて温かく盛大に迎えてくださった。初めて目にするボトルダンスには感動を覚え、鳥肌が立つほどであった。私たちもソーラン節を披露したが、生徒のみんなの迫力あるパフォーマンスには到底及ばなかったことであろう。その後、校内を見学させていただき、日本にゆかりにある文化や伝統を学ぶ様子が多くみられた。 この日訪れた場所はどこも日本と関連性のあるところで、日本とパラグアイの近さをひしと感じた。日本とパラグアイの友好を深めるとともに、パラグアイの人々の優しさや温かさを直に感じることができた日であった。
4日目、ついに旅の目的の1つであったアスンシオン国立大学(Universidad Nacional de Asunción、以下、UNA)を訪問した。UNAはパラグアイで最も有名で教育水準の高い大学で、昨年2012年9月に横浜国立大学と学術協定を結び、これからの学生や事業の親密な交流が強く期待されている。今回はその第一歩となる訪問であったため、興奮と緊張の二つの感情を胸にUNAへと向かった。学内見学は建築学部の作品から始まり一度交流会を挟んだ後、図書館、工学部、化学部、そして大学病院と夕方18時までつきっきりで案内して頂いた。
すべての施設が同じ一つの敷地内にあり、大学の敷地はなんと約300haもあるとのこと。広いと言われている横浜国立大学のキャンパスの敷地が4.5ha程度であるというからその広さは容易に想像できるであろう。交流会ではUNAの教授、藤掛両教授の挨拶の後、両大学によるプレゼンが行われた。UNAの教授によるプレゼンでは、UNAの行うスラム街や貧困地区の生活改善を目的とするワークショップ事業などについて説明され、国大の学生によるプレゼンでは、同じく生活改善、そして東日本大震災、またキヌアという植物を使ったプロジェクトについて説明を行った。キヌアプロジェクトについてはUNAの教授陣もぜひ協力をとのことだったので、これからが楽しみな事業である。
また、プレゼン以外で、UNAの建築学部の音楽科の教授の方が歌を歌っておもてなししてくださり、私たちもソーラン節を披露して交流した。また、午後はUNA訪問と平行して、一部のメンバーでパラグアイのテレビ番組の収録にも参加した。昨日行ったNIHON GAKKOの校長先生と私たちがゲストとして招かれ、私たちはそこで再びソーラン節を披露。今回出演したのはSNTというパラグアイの中で最も古くて有名なテレビ局のKa'y uhapeという番組である。今回このような場で自分たちの活動を紹介できたことは非常に良いことであったが、他メディアからも取材が殺到して、現地ではほかにも多くの取材を受けた。この日は渡航の大義の1つ「アスンシオン国立大学の訪問・交流」を達成したわけであるが、夜は学生内で反省を含めたミーティングを行った。パラグアイに到着してから毎晩集まってミーティングは行っていたが、このミーティングでは互いに厳しい言葉を交わすことができた刺激的なものとなった。UNAでのプレゼンの用意のために徹夜をしていたメンバーもいれば、毎晩映像資料の整理をするメンバー、ボイスレコーダーの音声の文字起こしをするメンバー、皆がベクトルを合わせて渡航での成果を上げねばならぬはずなのにその意識が個々人で違う現状があることを、全体で話し合う必要があったからだ。ただの「仲良し集団の思い出づくりの旅行」などではない、国費がつぎ込まれている「SV」なのである。全体で私たちがしなければならないことを再確認した。
5日目、午前中JICAパラグアイ事務所を訪問した。パスポートを提示し、手続きを経て事務所へ入り、JICAがパラグアイで行っている事業の概要説明をお話して頂いた。次に私たちの今回の渡航目的の1つである、日系社会の調査やキヌア栽培に関する情報を教えて頂いたりして、大変参考になった。魅力的なプロジェクトや様々な組織との提携の話もあがり盛り上がった。またパラグアイではこの8月に政権が交代し、新大統領に対する国民の期待など最近のパラグアイの政治事情についてもお話していただいた。
特に興味深かったことが、諸外国等の対パラグアイ経済協力実績の話題で、それまでパラグアイに対する経済協力は日本が第1位であったが近年後退し、今では韓国や台湾などが台頭してきているとのことである。例えば、パラグアイに鉄道を通すプロジェクトを韓国のKOICA(日本でいうところのJICA)が始めようとしていたり、思えば昨日訪れたUNAにも韓国の援助で作られたPC室があったりした。援助の仕方は様々で、別に他国と張り合う必要などないのだが、日本の存在感が薄れることはやはり少し寂しくも感じ、これからも日本人としてパラグアイに必要な支援はなんなのかということを意識していこうという気持ちが芽生えた。滞在中JICAには大変お世話になり、多くの場面で助力頂いた。今回の私たちのために設けて頂いた時間もそうであるが、大変親身になって私たちの渡航の成功のために多方面からサポートして頂いた。職員含め、関係者の方々には渡航メンバー一同大変感謝している。そして午後の行動のメインはカテウラ地区の訪問だ。実はこのカテウラ地区の訪問は私たちが掲げた3つの大義の裏にあるもう1つの目的でもあった。簡潔にカテウラの説明をすると、同地区は南米の中でも最貧困のスラム街の1つであり、大量に捨てられたゴミの山の上に作られた小さな町である。
そこに住む人々は、ゴミ山の中から使えそうなゴミをあさり、それを売って生活している。しばしばトラブルも起こり、現地の人にカテウラに行くと話すと、「どうしてカテウラなんかに行くんだ?やめておけよ」と、どの人も怪訝そうな顔をして言う。私たちはパラグアイに到着してから、パラグアイの“きれいな”部分ばかりを見てきたためか、多少の違和感はあるものの、途上国に来たという感覚はありませんでした。しかし、今日、この渡航の中で初めてパラグアイの“きたない”部分を見た。カテウラ地区はパラグアイの首都アスンシオン市内にあり、そのことにもまず驚きであったが、カテウラに到着して一番に感じたのが、くさい。自分は初めて途上国に来たのだが、これほど強烈なにおいがするものだとは全く思ってもいなかった。 別SVでフィリピンのパヤタスに行ったことのある学生は同じ光景が連想されて見えたという。そして何よりもきつかったのが、カテウラの住民の僕らを見る目であった。立派なバスに乗りずけずけと彼らの居住地区に入りこみ、カメラを構え好奇の目で彼らを見る訳である。彼らの立場からすると、一体どのような気持ちなのだろうかと考えてしまうと、私自身ビデオカメラを回すことをとても怖く感じてしまった。自分自身でもここにいる自分の立場がよく分からない状況でいたことは否めない。それは、彼らに襲われるかもしれない、と思ったからではないが、うまく言葉に表せない、いたたまれない感覚が消えなかった。
そんな廃材の集積エリアであるカテウラ地区では、廃材から作った楽器で演奏をする楽団・The Recycled Instruments Orchestra of Cateuraがあることを私たちは聞いていた。彼らが使っている楽器は、石油缶や鉄パイプ、スプーンやフォークや廃棄木材などを使用して作られている。生憎、この日は楽団のメンバーは演奏活動に行っており、楽団員の方にお会いすることはできなかったのだが、楽器の製作者の大工さんに偶然にもお会いすることができ、お話を伺うことができた。楽器作りのきっかけはもとより、自分が楽器作りをしていてどう思うのか、世界に羽ばたくThe Recycled Instruments Orchestra of Cateuraについてはどう感じているのか。多くのことを伺うことができた。この土地のことについてもっと知りたい、この土地の人たちと関わりたいと思ったものの、時間は許してくれず、後ろ髪をひかれる思いを残しつつカテウラ地区を後にした。後日談になるが、私たちが帰国後の12月に良品計画とコラボレーションし、The Recycled Instruments Orchestra of Cateuraの楽団員を横浜国立大学にお招きして共同でワークショップを行った。国際協力スタジオと音響空間スタジオが共同で企画し、非言語性のワークショップで「音」を通じて楽団員との交流・おもてなしをテーマとした。ワークショップの結果は大成功で、楽団員の方々には楽しんで頂けたようである。日本の学生とパラグアイの青年たちが交流した大変よき機会となった。そしてカテウラ地区訪問後はアスンシオンの都市部をバスの中から見学して1日の行程が終わった。
6日目、私たちはアスンシオン日本人学校を訪問した。子供たちの通学の時間に訪問することができたので、子供たちの元気な挨拶を聞くことができた。子供たちと体育館で交流会をして、私たちは「ふるさと」と「カントリーロード」を合唱し、歌を知っている子供たちと一緒に歌った。自己紹介の後、子供たちの授業を見学させていただいた。みんなで体育館で昼食を食べた後に、出し物としてソーラン節を披露したところ。私たちが踊った後、なんと子供たちもソーラン節を踊ってくれることに。子供たちのソーラン節は、とても元気よく踊っていて私たちよりも上手で大変癒された。日本から遠く離れたところではあるが、日本の伝統文化が伝わっていることに感銘を受けるばかりであった。最後には子供たちとサッカーの試合をした。子供たちはみんな上手く、つい本気になってしまう大学生ではあったものの、試合には負けてしまうという結果でした。 子供たちとたくさん交流することができ、大変よき思い出となった。宿舎である日系福祉センターに戻ると、宿舎に住んでいる日系の青年たちがアサード(=焼肉)パーティーを開いてくれた。みんなで食べる初めてのアサードはとてもおいしく、時間を忘れていつまでも話し込んでしまうくらい楽しいものであった。宿舎の人たちにはアスンシオンに滞在中は本当にお世話になった。スペイン語を話せない私たちを買い物に連れて行ってくれたり、日本食屋に連れて行ってくれたりと、初めてのパラグアイで何もわからない私たちに対し本当に親切に接してくれた。センター長も含め、心から感謝している。日本から遠く離れたこの国で、日本の子供たちの元気な姿を見ることができ、さらに日本人の心を持つ人々と仲良くなることができ、私たちにとって最高の1日となった。翌日からいよいよ村での調査が始まるが、この日はともに6日間を過ごした日系の仲間たちと夜遅くまで語らったのだった。