あまり思いを言葉にするのが上手ではない私が、「格差」という重い言葉について述べてもいいか迷ってしまう。しかし、この「格差」がSV期間中、最初から最後まで私に付きまとった様々な違和感や思いを説明する軸になることは間違いない。
アジアで最大級のショッピングモール、モールオブアジアの中
フィリピン―正確にはマニラ*11近郊―滞在中、本当に色んな階層の人に会えたが、中でも印象に残るのは子どもたちである。ストリートチルドレン*12支援団体の「カンルンガン*13」やスモーキー・マウンテン*14として知られている「パヤタス*15」の子どもたちからスマートフォンやタブレットPCを持っている私立学校の子どもたちまで、子どもを通してフィリピン内の格差がダイナミックに見えた。一緒に遊んでいるといわゆる「子どもらしく」元気でエネルギーに満ちた子たちが、路上では「お金ください」と寄ってきたり、あるいはゴミ拾いのスカベンジャー*16になったりと、ある意味、「稼ぐ」という言葉を20代初めの私より早く接している存在であった。その子どもたちと小学校時代の私、そして所々で見かけた私立小学校の子どもたちを重ね合わせて考えてみると、「経済的な格差」が「経験の格差」を生み出しているかを考えさせた。
スマートフォンやタブレットを使って撮影する子どもたち
またSV期間中、フィリピンと日本の間の格差について考える機会も多くあった。何より、現地に進出している日系企業で売られている商品は、日本国内では「お手頃な価格」として知られているブランドが多数である。商品を輸出しているため関税などの問題もあるだろうが、タグを見てみるとそれらを造るのはベトナムやタイなどASEAN諸国であるため、もしそれが工場から直接運ばれたとしたらそこまで高い値段にはならないではないかと思う。しかし、「日本のもの」というブランドにより、実際には生産されるところと販売されるところ、そして日本の間に価格の不均衡が見られることは、誰にとっての「お手頃」であるかを思わせる。それは日系企業に限ることなくモールに入っている多くの外資系資本にも見られる特徴である。600店舗以上入っていると言われるモールオブアジア*18でもお店に出入りする人よりも廊下を歩き回りモールの雰囲気を楽しむ人が多かったことが気になってしょうがなかった。
帰国から一週間経つこの頃、私はここ最近「格差」という言葉に鈍くなっていた自分を振り返っている。まだ言葉にできずにいるもやもや感をこの先どうつなげていくか、「格差」をどう見ていくか答えを探すこれからの道が長い。