私たちは、パヤタスでゴミ山の見学や、その付近に住んでいる人々の家にお邪魔し、ソルト*17に訪れた後、二手に分かれ、一方はJICAへ、もう一方はLupang Pangako Elementary Schoolというパヤタスにある公立小学校へ伺った。そこの小学校はフィリピンに実際に住んでいる人からしても、みたことないと言うほど多い生徒数だった。初めにみた授業は算数と理科が一緒になったような授業だったが、それだと、先生が説明して生徒が問題を解くという授業になり、見学していて楽しくないだろうという学校側の計らいで、社会科と道徳が一緒になったような授業をするクラスへと案内された。ロールプレイング形式で、フィリピンの大統領の歴史についての授業を行っていた。中央にある机に集合し、ロールプレイングをしている生徒だけでなく、周りでそれを見ている生徒もすごく楽しそうな表情で先生や生徒の発言を聞いたり、行動をみたりしている。この小学校にきて一番印象的だったのも生徒達の表情だった。みんなが本当に楽しそうな表情だった。吹き抜けがあったり、教室が完全に密封できない構造だったり、開放的な学校の造りも関係しているのかもしれないが、子どもたちの声が絶えず聞こえる、とても元気な学校だった。
授業を見学したあとに、小さな図書館へ移動した。そこで校長代理と思われる先生に多くの質問をしたのだが、楽しそうな子ども達の表情に隠れた厳しい現実を知ることとなった。まず、小学校の前に訪れたSALTであったお母さんの中には子どもたちにはスカベンジャーとしての仕事をさせることはないと語る人もいたが、その先生はその学校にくる生徒の90%はスカベンジャー*15の仕事をしていると語った。そこにも理想と現実の壁のようなものを感じた。他にも、ある一定の体重に満たない生徒には食べ物を与えるという規則もあり、時には先生たちがポケットマネーで生徒に食べ物を与えることもあるという。集中できない生徒がいても、「朝食を食べてきてないから集中できない。」と言われれば何も言えない。持ってこなければならないプリントを持って来られなくても怒ることはできない。授業と教科書は無償だから、なるべくその他の教材を使わないようにするなど、その小学校には様々な「例外」が存在していた。話を聞いた先生も家族と近くに移り住んだが、ゴミ山からの異臭や、発生している有毒ガスにより、子どもも体調不良を訴えるなどして断念したという。
教員免許取得を目指す私は教育に関わる授業をたくさん受けており、日本の教育問題に触れることがよくある。それは、いじめだったり、登校拒否、学級崩壊、モンスターペアレンツ、教師の精神崩壊などと、聞き慣れたものばかりだが、熱意を持って教師になっても生徒や保護者、また上司との人間関係に悩まされ、心を病む先生は少なくないという。厳しすぎても、生徒や保護者に圧力をかけられ、生徒と密着してもそれもまた問題とされる。そんな中教師は何を信念に教師をすべきなのかという課題を私はずっと考えていたため、先生にカタコトの英語で「教育に関して1番大切にしていることは何ですか?」と聞いてみたところ、「情熱と愛」だと即答された。いま、こんなことを本気の目で言える教師って日本に、世界に何人いるのだろうと思った。もちろん私の出会ってきた教師の中にも尊敬できる教師はいた。しかし、その中のどの先生よりも屈託のない表情だった。それを考えると、日本の悩まされている教育問題がちっぽけに思えてきて、情けなくなった。そこにはもちろん、小学校をとりまく環境の違いがあり、日本の学校がこの小学校と似た境遇だったら、そんなちっぽけな問題に人生をかけて悩まされる生徒はいなかったかもしれない。貧しい地域に住む子どもは家庭にいるよりも、学校を好む傾向にある。それは、この小学校でも聞いたが、学校にいると、今夜のご飯の心配も仕事もしなくてよい、暴力もうけないからである。だから学校にいる子ども達の表情は楽しそうなのだと言われた。学校がなんとなく嫌な存在として見られる日本の現状の裏には、経済の裕福さ、家庭の豊かさがうかがえる。しかし、学校とは本来、楽しんで行くものだと思う。しかし、経済が発展し、国が豊かになるほど学校は退化するように思われる。
グローバル化が進み、途上国は先進国による物資や技術の支援を得ることは多いが、「教育」という分野においては、我々先進国は途上国から学ぶものはたくさんあると感じた。今回、こんな教師に出会えたことに感謝したいとおもう。