サンフランシスコの一角に、数多くのレインボーのフラッグがはためく街がある。LGBT といわれるセクシャルマイノリティたちの街、カストロ地区*11である。
今回のSV では、ガイドの女性に連れられてカストロ地区を歩いた。この街には、セクシャルマイノリティたちが自由に生きられる空気がある。ゲイのカップルも、レズのカップルも、堂々と手をつなぎ、道端でハグやキスをする。ガイドは何度も、「人の性は揺れ動くものだ。黒でも白でもなく、グレーなものだ」と強調した。今当然のように異性を好きになっている人も、ある日急に同性を好きになるかもしれない。どの性別を選んでも、誰を好きになってもいいのだ。男であること、女であることは社会的コードの下で決まるものなのだ、と。
この社会的コードから自由になったカストロ地区ではどのような子供たちが育つのだろ うか。カストロ地区にも小学校がある。小学校の壁には一面に絵が描かれていて、そこには “PEACE” “EQUALITY” “DIVERSITY” “JUSTICE” “FREEDOM” “ACCEPTANCE” の文字が並ぶ。“LOVE” “NO WAR” と書かれたプラカードを持って国会へ行進する絵もあり、 とても小学校とは思えない。
「ここで育った8歳の子供は、自分はバイだと自信をもって主張することができる」とガイドが嬉しそうに語ったのが印象的であった。彼女は何度も「自分が、本当の自分でいられることがハッピーだ」と語った。ここは、人々が二重生活をせずに済む場所であり、そのような場所であることを、この8歳の子供が証明しているのである。それがガイドにとって、そしてこの街の人々にとって喜ばしいことなのである。
そして、ここで育った子供たちは、カストロ地区の外に出て行って、その考えを広めていく役割を担っている。1970年代、初めて自身がゲイであることを公言して市議会に立候補したハーヴェイ・ミルクが、この街でゲイたちの権利獲得への道を推し進めたように、一人の人間の考えがその周りの人に伝わり、それがさらにまた伝わり、そうやってどんどん世界を変えていくかもしれない。
しかし、まだまだ課題はある。取材に応じてくれたカストロにある病院の職員は、「LGBTたちの運動は終わりを迎えたと思うか」という質問に対し、「まだLGBTたちの運動は終わっていない」と答えた。ミルクのおかげで、特にカストロ地区の状況はよくなったが、カリフォルニアやサンフランシスコ全体で見ればまだまだ変化が必要だということだ。アメリカ全体、さらには世界全体で見ても、LGBTたちの立場は決して良いとは言えない。
それは、LGBTの人々がこの地区だけで、そしてずっとこのままではいられないことも示唆している。確かに、今、この地区で生きている限りは、LGBTの人々が不当に解雇されることも、ヘテロの人々に非難されることもないかもしれない。しかし、状況は変わっていく。最近ではサンフランシスコの地価上昇に伴い、比較的安く住めるカストロ地区にもヘテロの人々が住むようになってきている。その人々に対し、正直言ってあまりいい気はしないと言う人もいる、とガイドは苦々しい顔で答えた。
差別と闘ってきたセクシャルマイノリティの人々が、逆にマジョリティたちを差別するのは、自己防衛として当然であるように思える。しかし、そこに境界線を引いてしまっている限りは、彼らの掲げる “DIVERSITY” も “ACCEPTANCE” も、ちゃちなものに思えてしまう。ここには、彼ら自身も乗り越えなければならない壁があるだろう。
セクシャルマイノリティにとって大きな変化を生み出してきた歴史を持つカストロ地区で生きてきた人々が、いかにしてこれからの世界を変化させていけるか。ここでのツアーと取材は、ここで生まれ育った新しい世代も加わって、「自分が、本当の自分であること」を守るために、これからも彼らの運動は続いていくことを予感させるものであった。