サンフランシスコは、「移民のまち」と言われることがあるほどに、様々な場所から来た移民が生活をしている場所である。今回のスタディツアーの中で、実際にいくつもの移民のまちを訪れてみて、ひとくくりに「移民のまち」といっても、それらの在り方は実に多様であることがわかった。その中でも特に印象的であったのがジャパンタウン*5とチャイナタウン*8である。
チャイナタウンに一歩足を踏み入れると、中国系であると思われる人々が行き交い、看板や人々の会話は全て中国語、といった具合に、アメリカにいることを一瞬忘れてしまうほどに中国の文化やモノで溢れ賑わっている。よくみると、立ち並ぶのは生活用品や食料品を扱うグロセリーショップから病院、中国語の看板を掲げた教会まで、生活のすべてをここでひととおり終えてしまうことのできるほどに充実した、様々な施設である。
一方、ジャパンタウンではチャイナタウンのような活気や賑わいはみられなかった。日系人の姿も日本語も、チャイナタウンに比べれば非常に少ない。ここは、日本風の建物が日本文化の象徴的なものとして立ち並ぶ、ショッピングモールや飲食店のある観光地という印象であった。ジャパンタウンにある National Japanese American Historical Society (NJAHS) という日系人コミュニティでボランティアとして働く日系アメリカ人4世の方は、アメリカで暮らす日本人や日系人はアメリカ社会に馴染めているからもはや一緒に集まって暮らす必要がないのだと話していた。またNJAHSをはじめとしたサンフランシスコのジャパンタウンで活動する日系人コミュニティの多くは、歴史や文化保存を目的としているコミュニティであった。
多民族国家であるアメリカで生きる人々には、自分のアイデンティティがどこにあるのかを自覚することが必要とされる。生活の場としてのチャイナタウンと、歴史と文化の保存・象徴としてのジャパンタウン、一見して大きく違う二つのまちであるが、どちらもアイデンティティを形作るための役割を担っている点では共通している。
現在進行形で多くの中国人がアメリカに移り住んでおり、そうした人々がアメリカ社会で生活していくための最初の場としての役割を持つのがチャイナタウンである。彼らは共に、中国語を話し中国文化の中で生活をしている。
歴史を見てみると、ジャパンタウンも日系移民の集住地区としてはじまっていた。しかしアメリカ社会に“馴染んだ”日系人・日本人がジャパンタウンから離れて暮らすようになった結果、今日の歴史と文化の保存のためのジャパンタウンの姿に変化したのである。
現在も新たにたくさんの人々がアメリカに移り住んでいるが、その目的や状況は常に変化している。それがチャイナタウンやジャパンタウンをはじめとした移民のまちにどのように影響を与え、人々のアイデンティティを形作り保つために、まちはどのように姿を変えていくのであろうか。