「サンフランシスコは、また、自分たちの都市に一緒に住む人間についても考慮を怠らない。民族、人種や年齢構成、職種などの多様性を容認するのみならず、むしろ積極的に長所として誇示している。経済的社会的階層の多様性が土地利用の多様性を保証し、ひいては都市空間のバラエティ、豊かさと活気をもたらすことになるのを見抜いているのだ。極端に裕福か極端に貧しい家族か、さもなければ独身者しか住まなくなったニューヨークのようにはなりたくないということである。サンフランシスコ市民の望む都市の姿は、以上のようなものであり...」
上記は、『都市開発を考える―アメリカと日本―』(大野輝之、レイコ・ハベ・エバンス 岩波書店 1992)からの引用である。都市再生について述べられた著書の中で、サンフランシスコは成功例として扱われることが多い。特に、金融グローバリゼーションに毒された、人々を分断する巨大再開発ではなく、地域コミュニティの再生・維持に力を入れたローカル化志向の再開発、まちづくりに力が入れられているということが注目を集める一つのポイントになっているようだ。
今回、私は『コミュニティデザインの時代 自分たちで「まち」をつくる』(山崎亮 中央公論新社 2012)で紹介されていた、クリッシーフィールド国立公園*4を訪れ、そこで働く職員の方に、サンフランシスコのコミュニティの実態についての考えを伺った。その中で語られることは、必ずしも論文に見られるようなサンフランシスコの成功だけではなく、サンフランシスコの負の側面を示す内容も含まれていた。
まず、クリッシーフィールドで行われている様々なプログラムについての話を伺ったが、山崎氏によれば、自然回復プログラムやサマーキャンプ等を通じてコミュニティの再生に貢献しているそうだが、この点については職員の方も手ごたえを感じているようであった。「クリッシーフィールドセンターは、コミュニティ同士のコネクションとしての役割を果たしている」という言い方をしていたが、そのような意味で、ここで行われるプログラムがコミュニティの再生に効果的であると判断しているようだ。
しかし一方で、論文で語られるようなサンフランシスコのコミュニティ再構築における先進性について問うと、「先進的な取り組みがなされているエリアもあるが、そうでないエリアもある」という答えが返ってきた。特に印象的だったのが、「コミュニティが強化されたとしても、そのコミュニティ自体がその外部から無視されてしまうということもある」という言葉だった。サンフランシスコのコミュニティ再生を成功事例として扱う論文を読んでいると、「コミュニティを再生する」ということ自体が無条件に素晴らしいことのように思われるが、いくらコミュニティの内部の結びつきを強めても、それ自体が周囲から相手にされなければ、コミュニティの強化はあまり意味をなさないということだろうか。
さらに、「サンフランシスコは地価が上がっていて、低所得層が流出し、街に分断が生じている」という話も聞かせてくれた。冒頭の大野らの引用を改めて見てほしい。研究者による評価とサンフランシスコの人の実感は正反対のものとなっている。確かに、この著書が書かれたのは今から20年以上も前のことであるから、事情が変わってきているのは当然である。しかしそれは、当時は論文の通りだったとしても20年経ってサンフランシスコの都市づくりが外部の研究者に期待されていたような方向には向かわなかったということなのではないか。
クリッシーフィールドに限らず、他のエリアにおいても、同様のことがうかがえる。例えば、SOMA地区の再開発エリアについては、単なる大規模商業・業務ビルを建設するのではなく、再開発の過程にアーティストが深くかかわり、文化志向、低所得者層への配慮がなされた再開発が行われた点が評価されている。しかし一方で、ジェントリフィケーション(貧困層が多かったエリアに比較的裕福な層が流入して街を活性化させること)が進行したことで地価が上昇し、もともとその地域に住んでいた人々がそこから追い出されてしまう側面があることも指摘されている。だが、この点についてはボランティアで案内してくれた方は、「まぁ、そんなこともありましたね」程度の認識であり、ジェントリフィケーションの過程でその地域から人が流出し、結局は街に分断が生じているということに問題意識を持ってはいないようであった。
以上のように、サンフランシスコにおけるコミュニティのあり方については、外部の研究者による評価と市内で住み、働く人の実感との間には大きな差がみられることが分かった。都市を象徴する側面を研究等から知ることも大切だが、それをその都市の実情を示したものととらえることはかなり危険だ。都市の実態をできる限り的確に捉えるためには、研究等外部からの評価と、内部の実感とを常に突き合せて考える必要がある。また、私が今回見聞きしてきたものも結局のところサンフランシスコという都市の一側面にすぎないのであり、都市を正確に語ることができるほどにその都市の実態を捉えることがそう容易ではないということに改めて気付くことができた。