日本人にとっては意識しにくいが西洋圏において教会というものの存在は単なる宗教的な建物というだけではなく、地域コミュニティの一つで低取得層のセーフティネットの意味合いも持っていた。宗教施設は社会的立場の弱い人、特に孤児などを保護して養育する中で宗教教育を行うことでその宗教の勢力を伸ばしていったのだ。一方で、宗教施設は十字軍や魔女狩り、禁書などに見られるようにキリスト教を信じるもの以外には非常に閉鎖的で弾圧などをしばしば行った。
だが、近代になって社会が変わっていく中で、信者の意識や教会の役割もそれに合わせて変化していったようだ。その変わっていった一つの現代教会を紹介しよう。今回、アメリカSVで訪れたカリフォルニア州のサンフランシスコ市内、Ellis Streetの向かいにある Glide Church*1は365日、朝昼夜の3食を市民に無償で提供しているプロテスタント教会である。通常の教会のミサといえば賛美歌を合唱して牧師の厳かな聖書の一節を用いた説教を聞くといった形式だが、Glide Church はそうした形式主義には囚われず十字架がそもそもなく、ステージ上の30人程度のバンドの演奏を背景に来た人々でゴスペルを歌い、何人かの説教とは程遠いわかりやすいメッセージを挟むなどという空間であった。まるでミサというよりはコンサート会場のようである。
また、この教会はカトリックだろうがイスラム教だろうが仏教だろうが信仰に囚われず来るものを歓迎していて、その姿勢はもはやプロテスタント教会ではないように感じられた。実際、ホームページの説明によるとGlide Churchが初めて教会から十字架を外して、ヒッピーや麻薬中毒者、ゲイなど人種、信条、階級を無視して食べ物や住居を提供した時にはプロテスタントの保守層から「悪魔の手先」と大変非難を受けたようである。宗教的に見れば Glide Church は「教会」とは言えないかもしれない。しかし、これが奉仕精神を含めた地域的なコミュニティと見た時にはリベラルを売りにしたクリントン元大統領夫妻が訪問していることなどから見られるように大変成功したコミュニティとみなされている。