アメリカ合衆国西海岸、San Francisco と Santa Cruz で出逢うことが出来た幾つかのコミュニティは、恐らく日本のそれとは異なるエネルギーを持っていた。簡潔に言うならば、「しっかりと機能している」そんな感触を持った。その中の一つの code pink は2002年に立ち上がった、反戦・平和と社会正義を求める女性たち中心に展開する草の根運動でありその運動組織。ミリタリズムにグローバルに(全地球的に)挑戦し、戦争や暴力へ向かうようなリソース(資源)を、健康や教育、クリーンな環境等の life-affirming(生命を肯定する)な活動へと方向転換する、と紹介されている。「賛否両論巻き起こすことが目的」と、ピンク色の服を着たJanet氏は語ってくれた。
日本におけるオープンな「反戦・平和」運動は直ぐさま揶揄されがちで大声をあげられない印象が付いてまわる。しかし“code pink alert is a feisty call”(元気で活発な呼びかけ)とHPに記載があるように code pink の活動にそうしたネガティブさは見受けられず、理念に共感する同士を増やしながら前進している様であった。
人が命を落とす「戦争」を地球上から無くすことはすぐにできることでもましてや一人でできることでもない。かといって反戦・平和を謳う行為を誰かに響かせることも簡単ではない。だとしたら「戦争を無くす」という目的に至るまでに散らばる社会的・制度的等目の前の目標一つ一に目を向けること。反戦・平和組織にとって、その一つ一つの行動を展開して普及し多くの共感を得るためには、時にその活動内容よりも社会にどう見られるか、即ち「見せ方」こそが重要度を増してくる。こうしたコミュニティはそれ自体既にある程度の主張を伴わざるを得ない存在であるが故、そこには排他性や暴力性も内包しているだろう。その点は人間個人にも当てはまる。しかしどうにも活動しないわけにはいかないのだ。
日本において、反戦や平和が様々変容しスローガンや音楽で消費され、反戦・平和麻痺ともいえる日本人像を、能動的な行動を繰り返す code pink に再確認させられた。pink という記号で視覚に訴え、モノを媒介に他人に「見せる」その手法は code pink のピンク色の衣服に限らず、カストロ地区*11の quilt project や性的マイノリティを表すレインボーカラーの旗、ミッション*2の街に描かれた沢山の mural(壁画)など、サンフランシスコの街に溢れていた。