パラグアイSV

ENCANTADO‼ENCANTADA‼

このページでは、2013年9月に行われたパラグアイSVについて紹介している。この記事を読んでいるあなたはパラグアイ共和国についてご存じだろうか?元サッカー選手で現タレントの武田修宏さんが一時、パラグアイ共和国のサッカーチームでプレーしていたことや東日本大震災時における「100万丁豆腐プロジェクト」は有名である。世論調査を行っている米国ギャラップ社の調査によると、世界148カ国でのうちパラグアイは「前向き度ランキング」でなんと1位に輝いたのである。(同率1位でパナマ共和国)参考までに私たちが住む日本はというと59位で高くとも低くとも言えない順位である。上位10か国のうち8か国をラテンアメリカ諸国が占めているということを考えると、所得水準や生活水準だけでは幸福であるかどうかを測ることはできないということを如実に物語っている。ラテンの楽観主義には敬服するばかりである。その頂点に君臨するパラグアイは、世界一ポジティブな国であるとも言える。また、同国は海外からの支援額が一番多いのは日本というだけあって長年の親日国でもある。明治・昭和期に日本からも移民が数多く入植し、パラグアイ社会で活躍している歴史もある。しかし、楽観的な国民性の背景には悲しい歴史と山積する課題が隠れている。隣国との戦争に敗れた後の急激な男性人口の減少は男性優位思想(マチスモ思想)の浸透を促してしまったジェンダーの問題、国民の大半が1日1ドル以下で生活している貧困の現状、学校がないことなどによる教育水準の問題や都市部と農村部での格差の問題など様々である。

今回のSVでは、「共生社会構築のためのグローバル・スタディーズ・プログラム〜横浜国大を拠点とするグローカルな政策提言プラットフォームに向けて」というプログラムの元、パラグアイにおける調査研究として横浜国立大学の藤掛洋子研究室、国際協力スタジオ・ゼミに所属する学生(横浜国立大学教育人間科学部人間文化課程社会文化コース)、および大学院生(横浜国立大学院都市イノベーション学府)の18名のメンバーがパラグアイへ渡航した。

「パラグアイの歴史」(1ページ目)では、パラグアイについて知らない方のために事前知識として簡単なパラグアイの歴史を紹介している。先住民と白人の混血であるメスティーソが人種の多くを占めているが、混血政策をとり移民を多く受け入れてきたパラグアイでは、色々な肌の色、髪の色、瞳の色をした人たちが共生しているまさに人種のるつぼである。植民地としての歴史や隣国との戦争の歴史などの悲しい歴史を経験し、現在に至る。

「パラグアイ日系移民の歴史」(2ページ目)では、同じく事前知識として日系移民の歴史について紹介している。明治から昭和の激動期にかけて渡航した日系移民の方々は今ではパラグアイ社会でも中心的な役割を担い、ご活躍されている。「日本人としての誇り」を忘れず暮らしており、勤勉なその印象は現地のパラグアイ人に絶大な影響を与えているという。パラグアイ人には親しみのない「野菜栽培」を普及させ、パラグアイ人の食生活の改善に大きく寄与した。

「渡航に至る経緯」(3ページ目)では、渡航するメンバーやその経緯・目的についての紹介、2012年9月に本学とアスンシオン国立大学が学術交流協定を調印した記事を掲載している。アスンシオン国立大学のPedro Gerardo González学長と駐日パラグアイ豊歳直之特命全権大使に横浜国立大学までお越しいただき、本学の鈴木邦雄学長との調印に至った大変喜ばしい調印式典であった。パラグアイ渡航での3つの目的であるパラグアイ農村部でのフィールドワークの実践」「アスンシオン国立大学の訪問・交流」「日系居住地区の訪問・交流・調査」について説明している。

「渡航準備」(4ページ目)では、渡航における事前準備として行った、渡航準備合宿などの様子について紹介している。詳細のスケジュールやフィールドワークにおける質問票のブラッシュアップを行った。青年海外協力隊の隊員の方や、専門家の先生方、多くの講師の先生をお招きし、海外渡航における危機管理や先行研究などのレクチャーを受けた。

5ページ目以降は、スケジュールを追って私たちの渡航について紹介している。
「09/01~09/06 @アスンシオン」(5ページ目)では首都アスンシオンでの活動の記録を紹介している。在パラグアイ日本大使館、アスンシオン国立大学への訪問や私たちが訪れた多くの学校、企業、機関の紹介をしている。アスンシオン郊外の廃材集積エリア・カテウラ地区の視察や日本人学校での交流など濃密な6日間であった。

6、7ページ目ではアスンシオンからカアグアス県のコロネルオビエド市に拠点を移し、農村での調査活動について紹介している。
「0907-0916 サントドミンゴ村調査」(6ページ目)では、サントドミンゴ村でのフィールドワーク調査について紹介している。私たちが所属しているミタイ基金が支援した学校と、その学校に通う子供たちとついに対面するのである。学校に通う子供たちの笑顔が見れ、握手を交わし、挨拶のベソを交わし、感動のあまり涙を流すメンバーもいた。訪問中の式典や交流、調査の様子などについて紹介している。

「0907-0916 ウブウテエ集落・メルセデス地区調査」(7ページ目)では、ミタイ基金が新たに支援した学校が建設されたキンタイ地区ウブウテエ集落・メルセデス地区での調査活動とコロネルオビエド市に滞在した間に訪問した多くの施設について紹介する。同地域内で再貧困の地区とされるキンタイ地区での劣悪なインフラ環境を目の当たりにするハプニングや、計画居住地区であるメルセデス地区での農村調査とは一風変わった調査活動の経験など紹介している。女性労働者たちの努力で経営がなされているチパ(パンのようなもの)工場の見学、農業研究センターであるCETaparの見学、イグアス日本人会の会長である福井会長との会食、カアグアス大学学長のパブロ学長とのアサードなどの多くの活動について掲載している。

「0917-0920 ラパス訪問」(8ページ目)では日系移住地区であるラパスでの滞在について紹介している。滞在中は各家庭にホームステイさせていただき、久しぶりの日本食に皆大喜びした。農協や史料館の見学や敬老会の方々との交流など、濃密な滞在期間を過ごした。ラパスを去るころには皆が第二の故郷と口をそろえるほど居心地がよく郷愁さえ感じさせる場所であった。密林であった原生林を開拓して発展していった町であると聞いたが、ラパスには地平線が広がる広大な大豆・小麦畑があり、そこが密林であったことなど想像できなかった。先人たちの計り知れぬ努力があったのだと感じた。

「0920-0925 イグアスの滝・アスンシオン・帰国」(9ページ目)では、多国籍企業であるFujikuraの訪問や、世界3大瀑布であるイグアスの滝の訪問について紹介している。飛び散る水しぶきの中、カメラをビニールで覆い撮影したイグアスの滝の壮大さを感じていただきたい。そして渡航終盤、ふたたび首都アスンシオンに戻り、お世話になったパラグアイの関係者の皆様へ挨拶をして回った。

「パラグアイSVに参加して」(10ページ目)では、渡航メンバーを代表して徳永健人が渡航の感想を執筆した。本人は初めて海外に渡航し、その先が南米のパラグアイとだけあって影響が大きかったようである。メンバー皆が今回の渡航で多くの経験を培い、グローバル人材へと成長できたのではないかと思う。

「謝辞」(11ページ目)では、今回の渡航でお世話になった方々へ、謝辞を掲載させていただいた。便宜上、すべての皆様に感謝の言葉を申し上げることはできないのだが、本当に多くの関係者の方々にご迷惑をかけ、そしてご助力いただいた。まことに感謝しつくせぬ限りである。

「参考文献・URLリスト」(12ページ目)では、3ページ以降の記事と渡航中に参考にした文献・URLのリストを掲載した。

文量でこそ大量ではあるが、是非、すべての記事をご覧になっていただきたい。
是非、私たちと一緒にパラグアイを1カ月旅したような気分を味わっていただきたい。
そしてパラグアイを好きになってもらいたい。

そんな思いで執筆した記事である。
きっとパラグアイのラテンの情熱的で人情味あふれるバイオリズムを感じられる筈。

なお、Webページ中に掲載している写真や動画は、藤掛洋子教授、藤掛洋子研究室およびNGOミタイ基金によって撮影されたものである。